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お金に対するネガティブな感情

先日、たまたまこんなことを言っている人を街で見かけました。

「東京の人は、自分のためにお金を使わない。」と・・・。

その前後の会話や、その根拠や背景を聴いたわけではないので、

なぜそんなことを言うのか真意はわかりませんが、

私はその言葉がなぜかずーっと気になっていました。

 

なぜ気になっていたか?

そもそも私は、

他人が自分のためにお金をつかっているかいないかを

あまり意識して観ていたことはなかったし、

「ほんとかな?」という疑問符が頭の中に描かれたからだと考えます。

どちらかというと、私は逆のような気がするのですが・・・。

皆さんはどう想われますか?

 

この問いにはきっと正しい正しくない、良い悪いは無いですよね。

あくまでも、本人の捉え方なのですから・・・。

少なくとも、街で見かけたその方の目には、

そう映っているというだけのことだと想いますし、

もしかしたらその方自身も自分のためにお金を使っていないのかもしれません。

 

かつての私がそうでした。

結婚して家庭を持ってから、特に子供を産んでからは、

自分が自分のためだけにお金を使うことに罪悪感を感じていましたし、

生活に必要な物事以外でお金を使うことは、無駄遣いだと想っていたため、

多少ゆとりがあったとしても、極力(私にとっての)無駄遣いはせずに、

貯蓄に回していました。

その頃の私は、自分のためにお金を使っているという人に意識が行かなかったですし、

もしそういう人に出会っていたとしたら、

心の中で批判か嫉妬をしていたかもしれません。

 

今の私は逆に、

自分のために使うお金をケチっている自分である時に罪悪感を感じます。

私は、高級ブランド店にお客さんが沢山並んでいたり、

デパートや飲食店が賑わっている光景を東京でたくさん見て、

自分のためにお金を使っている人たちが多いな~東京の街は!という感想です。

そんな人たちと無意識に自分を比べていたのかもしれません。

 

いずれにしても、お金に対するネガティブな感情があることは事実で、

それを少しづつでも手放していけたらな~と想う、

気付きを得ることができました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

 

 

 

 

 

あの時の自分を誉めたい

皆さんは、自分の過去の行動などを振り返って、

あの時の自分褒めたいな~。

あの時の自分ナイスだったな~。

と想うことってありませんか?

 

私はあります。

思い出し笑いをし、1人でニヤニヤしているときもあります。

感極まって、泣きそうになるときもあります。

(他人に見られたら、怪しい人ですね(^^;))

今日もありました。

 

今日はメンターとのパーソナルセッションの日でした(^^♪

コーチングを主としておりますが、

時には、カウンセリング、

時には、ティーチングと

そのセッションのやり方は多岐にわたり、

毎回毎回、私の人生にとって大切な、

気付き・学び、アドバイスをいただけるのでありました。

 

今日のセッションの中で、メンターと私が持っている、

ある共通点についての話題となり、2人で大爆笑しました。

この時は、メンターとクライアントという関係というよりは、

同じ世代の女性同士という関係となり(私の主観です。)

共感しあえる関係性をとてもうれしく感じました。

(そういった意味では、気付き・学びだけではなく喜びもいただいておりますね。)

 

セッションが終わり、ふと思いました。

こうして、メンターとお腹を抱えて笑っていられるのも、

あの時私が勇気を出して、メンターにSOSを出したからだよな~。

本当に、あの時の自分の行動褒めたいわ~。よくやったな~。とニヤニヤ。

 

あの時の行動というのが、忘れもしない2015年の12月。

当時の私は、色々なことが重なって、精神的にぎりぎりの状態でした。

「これ以上我慢したら、また、同じことの繰り返し。(うつの再発)」

と想った私は、当時、就活セミナーの講師として1~2か月お世話になったというだけの関係で、

しかも、セミナー以来、半年ほど連絡をとっていなかった、現在のメンターに、

藁にも縋る想いでSOSのメールを送ったのです。

人に物事を頼んだり、弱音を吐いたりすることが苦手だった当時の私にとっては、

とても勇気のいる行為でした。

 

メールの返事には、すぐにセッションをした方がいいからと、

セッション可能日が書かれていました。

 

12月25日。名古屋へセッションを受けに行くことになりました。

今でこそスイス1人旅ができるくらい行動派の私ですが、

当時は1人で県外に行くなんて不安で胸がどきどき。

地下鉄にも一人では乗ったことがありません。(家族旅行などではありましたが)

奇跡的に迷わず待ち合わせ場所に到着し、メンターとの初のセッションとなったのでした。

あの行動がなかったら、今の私はなかった。

自己否定の塊で、ストレスフルな毎日を送っていた私が、

それまでの人生で感じることができなかった幸福感を得て、

こんなにも未来に希望が持てるようになるなんて・・・。

そう考えたら、今度はうるっときてしまいました。

 

もちろん、一番感謝しているのは、

私のSOSに即、対応してくださったマイメンターです。

メンターいつもありがとうございます。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

「いい格好しい」をやめてみる

私は、飲食店を利用した時は、

できるだけ、

「美味しかったです」とか、

「ごちそう様」とか、

ちょっと常連になってくると、

「いつもありがとう」とか、

感謝や、承認の言葉をできるだけ言うようにしています。

 

今朝、時間に余裕があったため、

今まで1度も訪れたことのない飲食店を訪れてみました。

良心的な価格にも関わらず、クオリティの高いモーニングで、

とても美味しかったため、

いつもであれば、自然と「美味しかったです」の言葉を残し、

会計を済ませたと想います。

しかし、レジを担当した店員さんの接客が私にはとても不快で、

クレームを言うほどのことではないけれども、

何となくむしゃくしゃ。

「美味しかったです」の言葉を引っ込めてそのまま店を出ました。

 

「いい格好しい」のところがある私は、

むかついた気持ちを抑えて、

「美味しかったです」と言ってしまう場合が今までだったら多かったかもしれません。

でも、「いい人」を手放すという課題に取り組んでいるため、

意識的に、店員さんにむかついて「美味しかったです」を言いたくなくなった、

自分の気持ちに正直になってみました。

 

些細なことかもしれませんが、

こういったことを丁寧におこなって、

誰も彼もにいい格好をするのはやめようと想います。

自分への裏切り行為ですから・・・。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

Aさんを尊重する行為

以前いた職場で、私は、こんな行為をしていました。

Aさんが居ない所でBさんに

「AさんがBさんのこと〇〇だって言ってたよ」

と伝える行為です。

〇〇に入る言葉は、Bさんを誉める言葉や、承認をする言葉です。

例えば、

「上司のAさんが、Bさんの挨拶が気持ち良いって褒めてたよ。」

「教育係のAさんが、Bさんのことを工夫するのが上手いって褒めてたよ。」

「Aさんが、B先輩のアドバイスがすごく役に立ったって感謝してたよ。」

「Aさんが、B上司が相談に乗ってくれてうれしかったって言ってましたよ。」

「Aさんが、Bリーダーのように仕事を瞬時に的確に回せるようになりたいって言ってましたよ。」

などなど、

誰かが何気に話してくれた、同僚や上司への承認や誉め言葉を覚えておいて伝えるのです。

目的はBさんの自己肯定感を上げるためと、

AさんとBさんの信頼関係づくりに微力でも貢献できると想ったこと。

これをやるようになったきっかけは、

以前勤めていた会社で「承認力向上研修」の講師を担当したことでした。

この研修の内容に、このやり方や効果が記載されており、

自己肯定感オタクの私は、

「これいいじゃん。やってみよう!」

と、やる気スイッチが入り、意識してやるようになったのです。

 

そして今日、この行為に別のメリットもあるという新たな視点をいただきました。

気付きをくださったのは、メンターです。

ミーティングの際に、仲間がメンターにした質問から、

偶然にもこの視点をいただきました。

その視点というのが、今日のタイトル

「Aさんを尊重する行為」です。

確かに、Aさんの株も上がりますよね。

 

「AさんがBさんのこと〇〇だって言ってたよ」と伝える行為。

Bさんの自己肯定感UPになり、

AさんとBさんの信頼関係構築にも繋がり、

さらにAさんを尊重する行為でもある。

メリットが多いですね。

※〇〇に入る言葉に批判や悪口はNGです。

真逆の結果が得られてしまいます。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

新しい出会いがエネルギーになる

何か新しいことを始めると、多くの場合、

人との出会いがありますよね。

 

初対面の人と関係性を築くとき、

自己肯定感が低い頃の私であれば、

自分に自信がなかったため、

素の自分を出すことができず、

相手に気を使い過ぎて、へとへとだったと想います。

まだそれに気付いていればいいのですが、

その自覚もなく、

疲れの原因が何かを年齢や、運動不足などのせいにしておりました。

しかし、自己否定が特に酷かった、30代~40代前半の頃より、

51歳で筋力、体力なども落ちている今の方が、

感覚的に10倍以上、体が軽く、エネルギーもあると感じております。

 

今日、数名の方と新しい出会いがありました。

その中の1人の方は、大学生。

年齢を伺うと、「最近20歳になったばかり」とおっしゃるので、

誕生日を伺うと、なんと私と同じ5月29日。31歳違いますが(^^;)

ひろーい東京なのに、駅が近くだったり、リケジョだったりという、

共通点が色々あり、(そういえばお母様の年齢も同じでした)意気投合。

帰りの電車をご一緒し、約30分ほどでしたが楽しく会話をさせていただき、

あっという間に最寄りの駅についてしまいました。

 

大学の勉強を一所懸命されているお話。

そんな中でも、休日は好きなことして息抜きをされているお話し。

お父様、お母様との関係性のお話し。

好きなお店のお話し。(ジェラート好きという共通点もありました。)

などなど、

今どきの若い方の、スタンス、考え方、感じ方を伺うことができました。

大学で学んでいることを含め、興味があるものが色々とあるとのこと。

その分野のお話しをされる時のお顔が、

希望に満ちて、きらきらと輝いておりました。

すがすがしく気持ちの良いエネルギーを沢山いただきました。

 

素敵な出会いと素敵な時間をいただけて、本当にありがたかったです。

 

昔の私でしたら、

初対面でこんなに打ち解けることはできなかったと想いますし、

それどころか31歳も年の離れた子と何を話そう?と戸惑い、

気を使い、それこそエネルギーを消耗していたかもしれません。

自己肯定感を高めたことで、

素の自分を出せるようになったメリットは大きいです。

(もちろん、素の自分を出せるかどうか?出すかどうか?は

相手や、その時の状況などにもよりますが・・・)

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

断り方

「断る」ことが苦手な私ですが、

自分を守るため、自分を尊重するために、

安易に引き受けるのではなく、

一旦、考える癖をつけようと、

そのための質問を考えました。(昨日の投稿に記載)

そして、「断る」という結論に至った時、

今まで、断ったことのないケースでも、

断らなければならないことが出てきます。

これまでの人生は、

「断らない」選択をする比率の方が多かったため、

「断る」という行為にあまり慣れておらず、

「断り方下手だな~」と自分自身を苦笑する場面がここ最近数回ありました。

これもまた、勉強だな~と捉えているのであります。

 

自身の「断り方下手だな~」と想う所は、

断る理由と断るタイミングです。

断る理由を伝える時、

相手に敢えて嫌な思いをさせないためや、

「そういう理由だったらしかたないよね~」と納得してもらうために、

本音を言わなかったり、

嘘をついた方が良い場合もあります。

頭ではそうわかっていても、

「嘘をつく」という行為に抵抗を感じてしまうのです。

(恐らく、嘘をついてはいけないというビリーフが影響しているのだと思われます。)

だから、なんとなく、おどおど、たじたじした感じが出てしまい、

もしかしたら相手に不信感を抱かせているかもしれません。

不信感を抱かせるくらだったら、

どうどうと嘘をつく覚悟で次回からは臨もうと想うのであります。

そのためにも、余計なことは付け加えず、

できるだけシンプルに伝えるということも意識しようと想います。

 

もう一つは「断るタイミング」です。

断るのが遅ければ遅くなるほど、

相手の次の行動が決めづらくなります。

断られた場合と、断られなかった場合の両方を

考えなければならなくなりエネルギーも使うでしょう。

その配慮が足りず、断るのが遅くなってしまったことがありました。

その反省をもとに、それとは別件で断ることが発生した時に、

逆に断るのが早すぎて、

後から、「あの断った件、撤回してもいいですか~」

とこちらから依頼するということになったり(^^;)

 

まだまだ、トレーニングが必要なようです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

断るという行為

以前よりは、できるようにはなりましたが、

私は「断る」という行為が苦手です。

なぜ、苦手なのか?

その理由は、

断ったら、

◆相手が自分のことをどう想うかが気になる。

◆自分が相手に対して罪悪感を感じるのが嫌。

大きくこの2つです。

 

例えば、職場で仕事の依頼を断る時、

無能な奴、役に立たない奴と想われるんじゃないか?

力になってあげられなくて申し訳ないな。

例えば、食事の誘いを断る時、

嫌われるんじゃないか?

せっかく誘ってもらったのに申し訳ないな。

こんな具合です。

 

ですので、コーチングを学ぶ前までの私は、

自分がきつい状態でも無理をして引き受けたり、

気乗りがしないことでも「せっかく誘ってくれたんだから」、

と想って、

「断らない」という選択の方を格段に多く選んでいたように想います。

しかし、時と場合によって「断る」ということは、

自分を守ったり、自己を尊重する行為であるということを学び、

少しづつですができるようになってはきています。

 

しかし、まだまだ、苦手だな~と感じているのは事実ですし、

実際に、意識していないと、ついつい、

断るべきことを引き受けてしまったりしている自分がいます。

先日も、メンターから、

「それはきっぱりと断ることだ」と指摘された事柄があり、

勇気をもって断ったため、それ以上の不利益を回避することができました。

そのことがあってから、

ここ数週間、「断る」「断らない」を意識するようになっていました。

そこで、気付いたことがあります。

自分なりに「断る」「断らない」の判断基準を明確にしておくことが大事だな~と。

そのための質問を考えてみました。

・相手は誰か?(自分が最も大切とする人か?良い感情を抱いている人か?利害関係がない相手か?)

・自分の感情はどうか?(気乗りするかしないか?その理由は?)

・それをする目的は何か?

・そもそも予定が空いているか?無理してでも予定を開けたほうがいいことか?

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

父親を好きになった要因③

20代前半のリケジョ時代、父親のことが大嫌いだった私でしたが、

今では父親を敬愛しております。

昨日までの投稿で、その要因の2つを記載いたしましたが、

今日は3つ目を投稿しようと想います。

父親を好きになった要因としてやはり大きいのが、

自己肯定感の土台である自己受容を整えたことだと捉えております。

自己受容を整えると以下のような効果があると考えるからです。

▢自分に対しても他者に対しても許容範囲が広くなる。

▢自分への理解が深まると相手への理解も深まる。例え理解できなかったとしても「こういうことかな?」と想像力が働く。

▢ポジティブな所ばかりを観て好きになるのではなく、ネガティブな面もひっくるめて自分のことも相手のことも好きになれる。

 (もちろん、好きになれない人はいます。人間ですから。)

 

上記3つががっちり当てはまったのだと想います。

そして、今では以下のような考え方です。

「父親はそういう人だよね~。(許容)

私もその時代の社会常識みたいなものに影響を受けて育ったように、

父親もその時代の社会常識の影響を受けて育ったんだよね~。

昭和前半なんて女性が家事をすることなんて当たり前だったでしょうし、

実際に、祖母(父の母)はとても働き者だったらしいから、

(農業と家事を両立し、夜は内職のようなこともしていたそうです。)

そんな背中を見て育ったら、父親にとって女性がよく働くことはふつうのことなんだよな~。

母親がそれに対して耐えられないと言っているわけではないし(ときどき不満を口にはするが)

身体を壊すほどの過酷さを与えているわけでもないもんな~。(そうだったら大問題)

そうは言っても、正直、男尊女卑的な言動は好きではないけど、(父親に限らず)

それもひっくるめて、それが父親だからな~。」と・・・。

 

父親の名誉のために言っておきますが、

朝のお茶入れだけはなぜか父親担当です。

これは私が子供の時からです。

最近は、食卓に食器を並べたり、

食べたものを下げたりだけはするようになったそうです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

父親を好きになった要因②

20代前半、父親のことが超絶嫌いだった私。

その理由は、母親に対する男尊女卑的な態度からくるものでした。

父親は現在も、家事のほとんどを母に任せ、

上げ膳据え膳、毎日洗濯された衣類や寝具が用意され、

定刻に食事が出てきて、何と幸せな生活をしているのだろうと、

はたから見て想うのですが、

今はそういった光景を観てもイライラするどころか、

微笑ましいとすら思えるのであります。

こういったことからもわかるように、

父親は今も昔もあまり変わっていません。

では、なぜ大嫌いな父親のことが好きになったのでしょうか?

私が変わったからです。

昨日の投稿にも記載しましたが、

私の父親や男性への見方、考え方が変わったのです。

今日は3つあるその要因の、2番目について記載したいと想います。

 

②ライフイベント(結婚・出産・家を建てる・離婚)

・結婚式の時、生まれて初めて父親が泣く姿を観たのは大きかったです。

 しかも、号泣でした。

 私は、ここまで愛されていたのかということを、実感した瞬間でもありました。

・妊娠、出産を経験したことも大きかったです。

 妊娠8か月を過ぎたころから、お腹の赤ちゃんの動きが激しくなり、

 赤ちゃんと一心同体というか、繋がっているというか、

 いつも一緒にいられるなんとも言えない、幸福感を味わうことができました。

 あと、おっぱいをあげているときの幸福感。

 これも何とも言いようがないくらい幸せでした。

 これは、女性だけに与えられた特権で、男性はこの幸福感を経験することはできません。

 この時でした、男性、女性、勝ち負けという次元じゃないなと想ったのは。

 女性はそもそもこんなに素晴らしい特権を与えられてるわけだし、

 男性も男性で女性にはない特性というものを持っていて、それに優劣も勝ち負けもないな~と。

 今まで男性に対して、張り合ったり、負けん気が強かった自分の言動が、ばっかみたい(笑)と笑えるようになりました。

・マイホームを建てるとき、父はとても労力を使ってくれました。というのも父は大工で、

 父が勤める工務店に建設をお願いしたのですが。父は、クビになってしまうのではないかと想うくらい、

 社長さんに値段交渉してくれ、とっても安く建設してもらうことができました。

 その代わり父は、休日や時間外もプライベートということで建設を進め、(要するに無料)

 人件費をかけないように配慮していました。

 娘や孫のためとはいえ、朝早くから日が暮れるまで、時には休日返上で本当によくやってくれました。

・そんなに苦労して建ててくれた家でしたが、私が離婚することになりそこを離れることとなりました。

 私は父に「あんなに一生懸命立ててくれた家、出ていくことになってごめんね」と言ったら、

 「お父さんはそんなことは全然気にしていないよ」と明るく答えてくれました。

 それどころか、私が離婚後住むための、土地や家(正確にはトレーラーハウス)のことにも、

 親身になって考えてくれ、土地の整備や、家の家具や内装を整えるのに労力も使ってくれました。

 こんなに愛情が深い父を嫌うなんてとんでもない、むしろ敬愛するようになっていったのです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

父親を好きになった要因①

私は、20代前半、猛烈に父親のことが嫌いな時期がありました。

それは、リケジョをやっていた時期と重なります。

男性社会の中で「女だってやれるんだ!」というところを見せようと、

必死に頑張っていた時期、意地になっていた時期とも言えます。

そんな時に、父の男尊女卑的な言動を観ると、イライラしてしまい、

もう本当に家に帰りたくないくらい、父のことが嫌でした。

 

そんな私は今では父のことが大好きです。

なぜ、好きになったか?

その要因をまとめてみたいと想います。

 

一番大きいのは、父や男性に対する、私の考え方・見方が変わったことです。

何故変わったか?

①父親との2人旅

②ライフイベント(結婚・出産・家を建てる・離婚)

③自己受容

その要因は大きくこの3つと考えます。

 

①父親との2人旅

これは私にとっては、荒療治でした。

リケジョを始めて2~3年ほどたった頃だったと想います。

父親嫌いがピークだった頃です。

私は、そのころ、胃の調子が悪い、眠れないとという症状が出ていました。

きっとストレスだなと自覚があったので、

会社の福利厚生を活用させてもらい、定期的にカウンセリングを受けていました。

外部のカウンセラーを会社が招いて、

就業時間内に予約制で1時間お話しを聴いてもらえるというものでした。

(本当にありがたい制度で、会社には今でも大変感謝しております。)

カウンセラーの先生に、「父親のことが嫌い過ぎて悩んでいる」と相談したところ、

父との2人旅行を勧められました。

「次回のカウンセリングの時に行って来た感想を聴かせてくださいね。」と先生。

ほぼ強制(笑)

父親に話を持ち掛けてみたところ、意外にもうれしそうな反応。

温泉に1泊旅行に行くこととなりました。

ちょっと照れ臭い気持ちもありましたが、

別に親子なので、

車の中で会話が途絶えても、

助手席で思いっきり眠ろうとも、

全く気を使うことがないですし、

普通に、美味しいお料理食べて、お酒飲んで、

ちょっとだけ観光してという感じでしたが、

案外、楽しかったのです。

 

もちろん旅行に行ったからと言って、

母親への男尊女卑的な言動が許せたわけではないですし、

イライラも相変わらずしましたが、

父親との距離が近くなったことで、

父親の好きな所にも触れることが出来、

嫌い!に大幅に偏っていた気持ちが、

好き!の方に引っ張られ、均衡が保たれたのかもしれません。

 

②ライフイベントと③自己受容については追って投稿いたします。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子