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自己受容

腹立たしく想ったときに自分の言動も振り返る

Aさんがある人の批判をしていました。

Aさんがその人のことを批判したくなるのは無理もない!

と私もその心情がわかります。

なぜなら、Aさんも私に同じようなことをして、

私もAさんを批判したことが過去にあるからです。

 

でも、Aさんは私にも同じことをしたその行為を、

覚えていないようです。

私から批判されたことも覚えていないようです。

 

なぜなんだろう?と考えたときに、

日頃から相手の立場にたって、

物事を考えたり、

それに伴った言動をしていないからなのかもしれない。

と仮説を立てました。

別の言い方をすると、

自分の目線で物事を捉える傾向性が強いということです。

 

そしてきっと私も、

自分も同じようなこと誰かにしているのに、

自分がそれと同じ行為をされると、

腹立たしく思ったり、批判的になっていることがあるかもしれない。

と想うのです。

私もまだまだ、

俯瞰で自分を観ることができていないことが多いからです。

 

実際、先日のブログにも記載しましたが、

自分のことは棚に上げて、

ある人の行為を批判的に想っている自分を発見したばかりです。

 

自分が誰かに対して腹立たしく想ったとき、

自分も同じようなことをしていないか?振り返るのと同時に、

そもそも、俯瞰で自分を観ることができるよう、

鍛錬が必要だなと想うのであります。

 

他人のことは観えるのに、

自分のことは観えづらいものですね

伝えないことも優しさ

あえて伝えない方が良いだろう、

知らない方が良いだろうと判断して、

相手に伝えなかった経験ってありませんか?

 

後からそれを伝えた時、

伝えてくれればよかったのに・・・

と言われたことはありましたが、

その時、しっかり相手のことや状況を考えて出した答えであれば、

その時はそれがベストな答えだったと想えることにもつながり、

その判断に後悔することは少ないのではないでしょうか?

そもそも、愛ある選択であれば、

どちらを選択しようとも、その選択に、

合っている間違っている、良い悪いは無いと考えております。

 

しかし、場合によっては、

それを誰にも言えないということはありませんか?

その抑圧が苦しいと感じることはありませんか?

そんな時どうしていらっしゃいますか?

 

私が一つ注意していることは、

せめて自分自身だけでも、

その想いを心の奥底にしまったり、

考えないようにしたりしないようにしております。

 

誰にも見られない場所で、思いっきり紙に書き出して、

シュレッターをかける。

 

自分の感情を観てあげることは大切です。

自分の感情と向き合いたくないときに無理に行う必要はありませんが、

活用してみることも良いかもしれません。

 

気持ちがすっきりする、

すっきりするまではいかなくても、

軽くなった感じがするという効果が得られます。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

失敗や挫折から逃げていた理由

皆さんは、失敗や挫折をしたいですか?

 

私はしたくありません。

辛い、苦しい、恥ずかしいという負の感情を味わいたくないからです。

これは人として、ごく自然なことでもあるのではないでしょうか?

 

でも、失敗や挫折には「メリットがある」ということを学んでからは、

失敗や挫折を恐れて、

挑戦から逃げたり、現状維持やハードルを下げるといった行為は、

避けるようになりました。

(さすがに敢えて失敗や挫折をするということはありませんが(笑))

それにより、結果的に、小さいことから大きいことまで、

失敗や挫折も繰り返してきたのが、

メンターと出会い、コーチングを受けたり、学んだことがきっかけで、

様々なことに挑戦し続けてきた、ここ9年ほどです。

 

失敗や、挫折をすることで、もちろん、

負の感情も多く味わいましたし、時間やお金もロスしたこともあります。

(メンターのおかげで、その損失は最小限で済んでおります。)

でもそれ以上に、他者理解や自己成長が促進されるなど、

プラスな面も多かったと実感しています。

(プラスの面は数値化、可視化がなかなか難しいですが・・・。)

 

それまでの自分はなぜ、失敗や挫折を恐れ、

安全な道を選んでいたのか?

挑戦から逃げていたのか?

考えられる原因をあげてみました。

 

□失敗や挫折から逃げてばかりいることのデメリットの大きさを知らなかった。

 聞いてはいても、腑に落ちるまで理解していなかった。

□負の感情を味わいたくなかった。味わうことを恐れていた。

□ダメな自分を受け入れる力が無かった。そもそもそういう意識もなかった。

□失敗しなさそうな方を選ぶ癖がついていた。

□周囲に挑戦するようなタイプの人がおらず、なんとなく楽な方へ流されていた。

 いたとしても、その人には能力があって私には無いからできないと思い込んでいた。

 言い訳していた。

 

過去の私は、こんな在り方の私でしたが、

9年間の学びと、プロのメンターをつけていたことは、

たとえ、失敗や挫折をしたくなかったとしても、

失敗したら失敗したで、

その出来事や、自分のダメな所や、自分の負の感情を

受け入れられるだろうという、自信と勇気が持てるようになったことが、

大きな成果と考えます。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

失敗しない方がいい失敗があるとするならば

一昨日の投稿で、数日間をかけて、

ミリオンセラー「鏡の法則」の著者で、

心理カウンセラーの野口嘉則氏のYouTube動画を視聴しているという、

投稿をいたしましたが、今日、また新たな気付きを得ることができました。

その動画のタイトルは

『野口嘉則 講演「自分という大地に根を張る生き方」

−自分本来の力を発揮する生き方』です。

 

野口氏の講演の中で私が印象に残っていることとして、

『科学技術が発達し、便利な世の中になった現代は、

思い通りにならない事への耐性が脆弱化している。』

ということだと、

先日の私のブログに書かせていただきました。

そして、さらに視聴を進めて行くと、

思い通りにならない事への耐性を獲得する方法について、

いくつか説明していらっしゃいました。

 

その方法の中の1つに、

「失敗や挫折の体験を積む」

ということを野口氏は挙げていらっしゃいました。

そしてこんなこともおっしゃっていました。

『失敗や挫折の経験が少ないと、

「自分は自分一人でなんとでもなる。」という感覚(➡万能感)の

手放しが行われないため、

「未熟な者同士、助け合おう。」という発想にならない。

それが相互理解やチームワークの構築が苦手な原因となる。』

というようなことです。

その説明を聴き、若かりし頃の自分自身と重ね合わせて、

「あーそういうことだったのか~

まさに、過去の私のことだな~。」と、

大きな納得感が得られました。

 

私は、メンターと出会い、自己変容していく過程で、

ある時ふと、こんなことに気付きました。

「私は今まで、自分一人で生きてきた気持ちでいたな~」と・・・。

私は、高校受験も、短大の受験も、就職も、結婚も、

ほとんど挫折することなく、とんとん拍子に進んできました。

とんとん拍子に進む方を選択してきた。

といった方があっているかもしれません。

だから、「自分一人で生きてきた。」という感覚(万能感)を

持っていたのだな~と・・・。

そして、

ふとその感覚を持っていたことに気が付いた瞬間というのが、

自己受容が進んだことにより、万能感の手放しが進んだことが、

要因だったのだなとも想いました。

 

野口氏がおっしゃる通り、失敗や挫折の体験は、

万能感を手放し、思い通りにならない事への耐性を獲得するうえで、

とても重要だということは納得できました。

それを踏まえ、敢えて、

私の中で失敗しなくてもよい失敗は何だったか?を考えてみたとき、

それは、「失敗や挫折から逃げていたという失敗」が挙げられます。

 

では、なぜ「失敗や挫折から逃げていたという失敗」をしてしまったのか?

その原因は明日以降のブログに投稿しようと想います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

やる気が出ない理由

皆さんは、やらなければいけないことを、すぐできますか?

私は、特に、これまでやったことが無いことをやり始めるまでに、

時間がかかります。

 

どうやったらうまくできるかな?

あの部分は、一筋縄ではいかなそうだな。

そんなことを考え出すと、

だんだんやる気が失せてきて、ついつい、動画を見たり、

休憩時間を長くとったり、別な用事をしてみたりしてしまいます。

 

なぜ、やる気が失せてくるのか?

その要因は大きく3つあります。

1つ目は、単純に体調が悪かったり、寝不足だったりして、

体力が不足している時です。

この場合の対処法は、寝る、休む、などわかりやすですよね。

 

2つ目は、できないこと、できない自分と、向き合うのが嫌だから。

簡単にできそうなことや、だいたいどれくらいで終わりそうか、

ゴールが観えているものならまだよいのですが、

今までやったことが無いことだと、ゴールが見えないため、

不安や恐れが湧いてきて、その感情とも向き合いたくないため、

別なことをしてしまったりするのです。

 

3つ目は、それをやる目的より先に、どうやるかを考えてしまうことも大きいです。

これをやる目的、背景、意図、理由、メリット、こういったことを先に考えたら、

使命感や、やり終わった後の達成感などプラスな感情を先に感じ、

やる気が失われる可能性も少ないのに、

それらを考えるもより先に、

どうやるか?を考えるから、ネガティブな感情も先にうまれ、やる気のエネルギーが

どんどん奪われます。

 

今回、友人からあるちょっとしたお仕事を依頼されました。

今までに作ったことのない帳票1つをつくるお仕事です。

やはり最初、どのようにやったらうまく行くか?を考えはじめ、

だんだん、モチベートが下がって、

まだ、納期には時間があるからいいやと、

時間があるにも関わらず先延ばしにしておりました。

 

しかし、あーまたいつものパターンに陥っているということに気付き、

友人はなぜこのような仕事を依頼したのだろう?

その意図は何だろう?

などを自問した時、納期に余裕はあっても、

今やった方が良いことに気が付き、モチベートも上がってきました。

やり始めて、何分か経つと、集中モードに入り、

気がついたら2時間が経過。

ほぼ完成に近い状態まで持っていくことができ、

心配していた問題も、ネットで調べたらそのやり方が載っていて、

心配していたエネルギーと時間がもったいなかったな~

と想うくらいあっさりできてしまいました。

 

ちょっとした、成功体験をお伝えいたしました。

誰かのご参考になったら嬉しいです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

オールOK

足を骨折したことで、

強制的に休養を採らなければならい状況となり、

たまたま、そんな環境も今のところ整っているため、

これを機に、生活を成り立たせることが可能な限り、

思いっきり自分の好きな事をして生活してみよう!

その時、だらだらしたって、ネットサーフィンしたって、

ドラマを明け方まで見たって、オールOK!!

全部許そう!

というのをやってみました。

 

5月の中旬くらいまでは、

まだ松葉杖を使用することが多かったりして、

健康な時より、体力や精神面での消耗が多く、

それを言い訳に、まだ骨折治療中だからま~いっか!

と、どんな自分も受け入れることがわりよ容易でした。

しかし、足の回復が進むに比例して、

ま~いっか!という言葉を自分自身にかけてあげることが、

少しづつ容易でなくなってきていたようでした。

 

今はもうほとんど、日常に支障がない程度に足は回復しています。

体力気力も、だいぶ出てくるようになりました。

だから、ちゃんとしていない自分に罪悪感を抱くのです。

 

そこで私は気付きました。

罪悪感を抱く自分を否定している自分に・・・。

私は、そもそも罪悪感を抱く人なんだ。

オールOKって決めたんだから、罪悪感を抱かなくても良いんだよ~。

といくら慰めてみても、

罪悪感が湧くんだから仕方ありません。

そこを受容してないから、より自分を苦しめていることに気が付きました。

そして、罪悪感を抱く自分を受容したらこそわかったこともありました。

 

私は、

だらだらしたいという欲望、

ドラマの続きをとめどなく見たいという欲望、

ネットで次から次へと動画など見たいという欲望、

を制御できない自分に罪悪感を抱くようです。

 

「オールOK!」という言葉を、

自分の過度な欲望を満たす言い訳には使わないようにしよう!

という気付きを得ました。

罪悪感という負の感情を自分に味合わせたくないので・・・(^_^;)

ま~それも、度を超すと苦しくなるので、

7:3~8:2くらいのバランスで、時には、

自分に対して甘々でも良いかな(^^♪

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

メッセージの浸透

2024年も、もう5か月が過ぎようとしていますね。

1月に父が急逝してから、

離職、求職、足の骨折、

家族の転職、引っ越し、

と自分の人生にも大きな影響があるイベントや、

アクシデントが多々あり、

気付けばもう一年の半分近くが過ぎようとしています。

 

この様々な出来事がもたらすメッセージは何なのか?

あーでもない、こーでもない、

あーしなきゃ、こーしなきゃ、

あれが正解か?これが正解か?

複雑に考えすぎていたように想います。

 

結局、出た答えは、いたってシンプル。

「自分の本心で決めましょう!」

でした。

 

5か月いや、昨年12月の求職期間も含めれば、

半年かかって、やっとそのことに本当の意味で気付き、

ある決断をすることができました。

決断の阻害要因の大きな1つは、

変化に対する恐れでした。

しかし、それも無理はありません。

これまで30年以上、生活に必要なお金のほとんどを、

従業員という形で得ていたのですから・・・。

 

別に働き方うんぬんということを言いたいのではありません。

働き方はどうであれ、

「自分の本心はどうなの?」

ここがまず、根幹です。

頭ではわかっていたつもりでしたが、

実は、変化という恐れから目を背けていた自分に、

ある出来事がきっかけで気付くことができました。

冒頭でも記載したように、

これまでも重要なメッセージが届いていたのに、

今、やっと身に染みてわかったのです(^_^;)

今振り返ると、

たまたま視聴した動画、手に取った本、

家族や友人の言動、

自分が家族や誰かのために発する言動にも、

メッセージが含まれていたな~と想うのです。

それを、自分事として捉えていなかった、

捉えようとしていなかったと感じています。

 

シャワーのように降り注がれていた沢山のメッセージが、

体の奥深く浸透するまで私の場合、半年を要しました(^_^;)

 

人は、変化を恐れる生き物なのだそうですが、

変化していない年数が長ければ長いほど、

恐怖心も大きいのでしょうか?

たとえ恐怖心が大きくても、それに早く気付いて、

手放して行かれるスキルは持っていることの方が、

人生をよりスピーディーに効率的に、

かじ取りしていかれることは確かなようです。

 

まあ、これも経験です。

この経験を誰かのお役に立つように使えるようにしていきます(^_^)

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

怪我の功名

生存本能は命を守るために備わった、

とってもとっても大切な本能です。

だから人は、

経済的に余裕が無くなったり、

仕事(収入源)を失ったりすると、

「これから食べていかれなくなったらどうしよう」

と不安や焦燥感が湧いてくるのは、

自然なことです。

 

しかし、それを頭で理解していても、

実際に自分がその渦中に入ってしまうと、

その不安と焦燥感から早く抜け出したくて、

自分に無理矢理納得のいく理由をつけて、

自分の本意とは異なる道に進み始めては、

失敗して戻るということをここ1年くらいの間に、

何度も経験しました。

 

これは、フリーランスという道を選んだからこそできた経験で、

この経験も、世のため人のために使っていけたら価値になるし、

価値にするために、どう失敗から立ち直っていくか?を、

今、絶賛お試し中です。

 

試すということで言えば、

リハビリ期間も含め、

完治するのに3か月かかるという今回の足の骨折は、

私にたっぷり時間を与えてくれました。

否が応でも、焦っても仕方ない状況なため、

自分の内側にある答えを拾い、

1つずつ、1つずつ、つなぎ合わせ形にしていく作業を

引き続き、丁寧にやっていこうと想います。

 

そんな中、

「真の自己肯定感の必要性と重要性を伝えていきたい」

という基本的な部分は変わっていないのですが、

そのためにどうしていきたいか?何をしたいのか?が、

以前より、明確になってきたように想います。

こちらのホームページも、リニューアルが必要かもしれません。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

気にしすぎる性格に良い悪いはない

皆さんは、

HSP(Highiy Sensitive Person)をご存知ですか?

その意味を簡単に言うと、

「人一倍繊細な気質をもって生まれた人」で、

「こうした気質を持つ人は職場や家庭など生活の中で気疲れしやすく、
生きづらいと感じているタイプの方が多い。」
(「」内、品川メンタルクリニックホームページより引用)

と言われています。

 

私が、このHSPについて知ったのは、

5年くらい前、友人の紹介で読んだ、

武田友紀著 飛鳥新社出版

「繊細さんの本」がきっかけでした。

そして、私にもHSPの要素がかなりあるなという、

自覚を持つきっかけにもなりました。

HSPの自覚を持てたことや、

HSPが生きづらさの原因の一つであることを知ることができただけでも、

かなり生きやすくなったのですが、

今でも、

「細かいね」とか「敏感だね」とか

「細かいとこまで気にしすぎじゃない?」

と何気なく発せられた相手の言葉に、

すごく嫌な感じを抱く自分がいます。

 

今日も、

私の繊細さを指摘するような発言を受けて、

嫌な気持ちになりました。

別に、それが悪いと否定されたりしたわけでもないのにです。

このモヤモヤとした感情は何だろう?ということを深堀したくなり、

時間もあったので、思うがままのことを紙に書いてみました。

そんなことをしているうちに、ふと、ある記憶を想い出しました。

中学生の時(かれこれ35年以上前)の記憶です。

ある先生に、提出物の提出期限を過ぎてしまった理由を話しに行ったら、

何を言われたかその内容を詳細まで覚えていないのですが、

「そんなこと(先生にとってはどうでもいいこと)を気にしてたら~~~」と

と、私が気にしすぎであることを指摘し、それに対して否定的なことを言われ、

とっても恥ずかしくなり、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえて、

席に戻ろうとしている自分の姿を想い出したのです。

恐らく、小さいころから、母親や友達から、

「そんなに細かいこと気にすることないのに」

というようなことはよく言われていたような記憶はあります。

ただ、それを言われても、たいして気にも留めていなかったようにも想います。

もしかしたら、あの中学の時の出来事が、

「細かいことを気にすることは悪いこと」

という思い込みを決定づけたのかもしれない。

という仮説が自分の中で生まれました。

だから、別に、否定されたわけでもないのに、

自分の繊細な所を指摘されると、

反射的に嫌な気持ちになってしまうのではないのかと・・・。

 

あくまでも仮設であって、

その仮説があっているか?

全部でなくても一部は合っているのか?

正直、分かりません。

 

でも、中学の時の先生には悪いのですが、

全て先生のその言動のせいにしてしまえば、

「気にしすぎる性格に良い悪いはない」

という頭では理解していても、

実際には受容できていなことを、受容できる。

そんな気になってきました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

かわいくない自分をかわいいと想う

今日は一人でスーパーに買い物に行きました。

今、負傷した足の治療中で、

一人で買い物をするには、

誰かの手助けが必要な場合も多々あります。

ただ、足を怪我してからちょうど2週間がたった今、

何度か一人でスーパーに買い物に行くという経験を重ねたことで、

だんだん、足が不自由な状態でも、

買い物をするコツが掴めてきました。

 

そんな中、近くにいらっしゃった年配の店員さんに、

頼もうかな~。でも、一人でやってもできそうだな~。

忙しそうだしな~。やっぱり一人でやってみよう!

と決めて、トライしていたことがありました。

ちょっとふらついたりもしていたので、

見かねたその店員さんが、

「ちょっと待って」と声をかけて下さり、

結局、手助けしてもらうこととなりました。

 

いつもの私だったら、

あれとってもらっていいですか~とか、

ちょっと手伝ってもらっていいですか~とか、

言えたはずなのに、

(実際にそうして、この2週間は買い物をしていました。)

何故か、今日は素直に頼ることができなかったのです。

 

私は、その時、恥ずかしい気持ちになり、

家に帰ってからも、気持ちがモヤモヤしていたので、

あの時のできごとや、自分の気持ちを振り返ってみました。

そして、あの時感じた恥ずかしさは、

本当は頼りたいのに頼れなかった自分に対する恥ずかしさであり、

気持ちのモヤモヤは、そんな自分を、

ほんと、かわいくない!と責めていたことから来るものだと、

気付きました。

 

いつもは、頼めるようなことを、

なぜ、意地になって一人でやろうとしていたのか?

原因は正直わかりません。

もしかしたら、

自己肯定感が下がっていたのかもしれません。

 

いずれにしても、そんな自分を、

かわいくない!と責めるのはやめようと想いました。

だって、辛いですから・・・

 

なんかよくわかんないけど、

一人でできる!って思いたかったんだよね。

素直に、頼めないときだってあるよね。

ちっちゃいことに、意地張ることだってあるよね。

そんな、かわいくない自分を、なんだかちょっと、

かわいいと想えるようになりました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子