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負の部分を見たくないと逃げる癖

皆と仲良くしなければならない!

そんな想い(幼少期に植え付けられたバイアス)が強かった以前の私は、

自分の心を偽ったり、抑圧したりして、

皆と仲良くすることが当たり前になっていました。

要するに、良い人を演じていたわけです。

皆と仲良くするには、

その人の良い所だけを観ることが自分には楽だということに気付き、

いつしか、人の良い所ばかりを観るようになっていました。

その弊害は、様々ありますが、その大きな一つに、

その人を信用しすぎてしまうということです。

信用しすぎると、その人が人格の低い人だった場合、

裏切られたり、だまされたりします。

昔ある人から、私は騙されやすいから気を付けた方がいい。

と言われたことがありますが、

その方はそんな私の特性を見抜いていたのかもしれません。

メンターからコーチングを受けたり学んだりする中で、

それを改善しなければならないということは、

気付かせていただいていたため、

これまで、何年もかけて改善に取り組んでまいりました。

 

自己肯定感を整えることにより、

自分の負の部分を受容できるようになったので、

他者の負の部分も観れるようになってきたのです。

 

ただ、そうは言っても、

相手が大好きな人だったり、

信じてきた人だったりすると、

その人が(私にとっては想定外、意外な)

それはちょっと酷いんじゃない?と想うような、

言動、在り方だったりすると、

観てみないふりをしてしまう傾向性がまだまだあるんだな、

ということに気が付く出来事がありました。

 

失望という感情を味わいたくないのだと想います。

でも、観て見ぬふりをすることはやめようと想います。

勇気を持って向き合います。

自分のためにも、相手のためにも、

それに関わる私の大切な人のためにも・・・。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

好きでい続けられる街

皆さんは、出かけた先で、

なぜか、この場所好きだな、

なんとなく居心地がいいな、

そんな場所はありませんか?

 

私は、そんな場所の一つに名古屋があります。

プラスして、なぜか20代のころから、

ご縁がある街でもあります。

 

なぜ名古屋が好きなのだろう?

と考えた時、理由もなく好きだというのが、

自分の中から出た答えなのですが、

ではなぜ、名古屋のことを好きでい続けられるのだろう?

と考えたときに、その理由の大きな一つに、

私が敬愛する方が住んでいらっしゃる街、

ということが挙げられます。

なぜなら、

もし、名古屋でとっても辛い経験や、

嫌な思い出があったなら、

好きな街

  • Category:感謝
  • Author:mind-labo

腹立たしく想ったときに自分の言動も振り返る

Aさんがある人の批判をしていました。

Aさんがその人のことを批判したくなるのは無理もない!

と私もその心情がわかります。

なぜなら、Aさんも私に同じようなことをして、

私もAさんを批判したことが過去にあるからです。

 

でも、Aさんは私にも同じことをしたその行為を、

覚えていないようです。

私から批判されたことも覚えていないようです。

 

なぜなんだろう?と考えたときに、

日頃から相手の立場にたって、

物事を考えたり、

それに伴った言動をしていないからなのかもしれない。

と仮説を立てました。

別の言い方をすると、

自分の目線で物事を捉える傾向性が強いということです。

 

そしてきっと私も、

自分も同じようなこと誰かにしているのに、

自分がそれと同じ行為をされると、

腹立たしく思ったり、批判的になっていることがあるかもしれない。

と想うのです。

私もまだまだ、

俯瞰で自分を観ることができていないことが多いからです。

 

実際、先日のブログにも記載しましたが、

自分のことは棚に上げて、

ある人の行為を批判的に想っている自分を発見したばかりです。

 

自分が誰かに対して腹立たしく想ったとき、

自分も同じようなことをしていないか?振り返るのと同時に、

そもそも、俯瞰で自分を観ることができるよう、

鍛錬が必要だなと想うのであります。

 

他人のことは観えるのに、

自分のことは観えづらいものですね

スペースを空けるとやってくる

3月31日に足を骨折した理由は、

自宅玄関の階段を踏み外したことによるものでした。

なぜ踏み外したか?と言えば、

亡くなった父が玄関のところに取り付けてくれた、

センサーライトが反応しなくなり、

「せっかくお父さんにとりつけもらったのに、つかなくなっちゃった!」

と悲しくなり、今後どうしよう( ;∀;)という不安もよぎり、

焦って、センサーライトに向かって、両手を振ったり、

体の向きを変えたりしながら、階段を下りたため踏み外してしまいました。

 

骨折した日の翌々日、お仕事を頂くための面談があったのですが、

それに行くことができなくなり、そのお仕事を失うことになりました。

しかし私は父からの、「その仕事は違う!」

というメッセージだと捉えたため、

傷みは辛かったですが、

案外楽観的で、むしろ、この面白い展開に、

わくわくすらしておりました。

 

「その仕事は違う!」というメッセージであるならば、

「じゃあどんな仕事がいいのだろう?」と想い、

答えを探しながら、骨折治療期間中の3か月を過ごしておりました。

従って、それまでは、仕事を探しに行くことに、

結構な時間と労力を費やしておりましたが、

骨折治療を理由に、のんびりしよう!と決め、

お仕事探しは、それまでの10分の1くらいのチカラで、

ぼつぼつとやっておりました。

 

7月1日、医師からもう大丈夫ですよという言葉を頂き、

晴れて骨折治療を終えることができた矢先、

突然、あるチャンスを頂きました。

これまでの私の人生では、無かった経緯でいただいたチャンスです。

 

これまでの人生でしてこなかった考え方、

ライフスタイルを3か月間してきた結果だと捉えています。

 

今回のそのチャンスをものにできるかどうかは別として、

いつでもチャンスを受けられるスペースを、

気持ち的にも、物理的にもつくっておいたことは、

自分にとって、この3か月間の大きな成果だったと感じております。

 

実は、のんびり過ごす!と決めた3か月間ではありましたが、

ほぼ働いていない自分に対して、

焦り、不安、罪悪感など様々な負の感情が沸き上がり、

何度も何度も、湧き上がっては手放し、湧き上がっては手放しを、

地道に繰り返しておりました

伝えないことも優しさ

あえて伝えない方が良いだろう、

知らない方が良いだろうと判断して、

相手に伝えなかった経験ってありませんか?

 

後からそれを伝えた時、

伝えてくれればよかったのに・・・

と言われたことはありましたが、

その時、しっかり相手のことや状況を考えて出した答えであれば、

その時はそれがベストな答えだったと想えることにもつながり、

その判断に後悔することは少ないのではないでしょうか?

そもそも、愛ある選択であれば、

どちらを選択しようとも、その選択に、

合っている間違っている、良い悪いは無いと考えております。

 

しかし、場合によっては、

それを誰にも言えないということはありませんか?

その抑圧が苦しいと感じることはありませんか?

そんな時どうしていらっしゃいますか?

 

私が一つ注意していることは、

せめて自分自身だけでも、

その想いを心の奥底にしまったり、

考えないようにしたりしないようにしております。

 

誰にも見られない場所で、思いっきり紙に書き出して、

シュレッターをかける。

 

自分の感情を観てあげることは大切です。

自分の感情と向き合いたくないときに無理に行う必要はありませんが、

活用してみることも良いかもしれません。

 

気持ちがすっきりする、

すっきりするまではいかなくても、

軽くなった感じがするという効果が得られます。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

できない失敗ができるようになる

挑戦することのメリットとして、経験があります。

更に、挑戦し続けることのメリットは、

過去の自分では予想だにしなかったことを経験できることです。

その経験は、

自己成長に繋がったり、

仕事でも、プライベートでもステージを上げることに繋がったり、

活躍の場をを広げたり、

自己理解や他者理解に繋がったりと、

様々ことに影響していきます。

 

先日、とても悔しい経験をいたしました。

それは失注です。

未来に希望が持てるお仕事だったため、

その悔しさは受け止められないほどです。

 

相手の期待に応えたい、いやそれ以上のことをしたい、

という気持ちはあるのに、

その期待に応えられないどころか、

失望させてしまうことをしてしまいました。

もちろん、故意に失望させようとしたわけではありません。

失望させてしまった原因は、期待に応えるための、

正しい行動をしていなかったことです。

 

正しい行動とは何か?というと、

相手の要望することは何か?をよく聴き、

聴いたことの解釈が間違っていないかを確認し、

もし解釈が間違っていたら、要望に近づくために修正していく。

それを、繰り返す。

要するにPDCAサイクルを回すことです。

なぜ、今回それが出来なかったか?

その原因も検証済みです。

 

相手を失望させてしまったことと、

PDCAサイクルの重要性を学んでいながら、

きちんとできなかった自分に対する悔しさで落ち込みそうになりましたが、

「そうは言っても、できていたこともあったよな!

事務員であった頃の私だったら、、

失注なんて経験はできなかったよな。

そんな失敗ができるだけでも自己成長じゃん!」

と考えたら、

落ち込んでいる場合じゃない!

失敗をただの失敗で終わらせないようにしよう!

そのために、

今できることをしよう!

今から改善していこう!

と奮起できたのでありました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

プロの目

昨日は、足首の骨折治療、最後のリハビリでございました(^_^)

レントゲンから視る回復の状態も良好で、

整形外科の先生から、ようやく走る許可もおり、

最後のリハビリを終え、

全治3か月期間を無事終了することができました。

ご協力くださった、全ての皆様ありがとうございました

(*- -)(*_ _)ペコリ

 

リハビリ室に行くと、担当の先生が、

「どうですか?あっ!良さそうですね!」

と声をかけてくださいました。

先生の見立て通り、ほとんど傷みも違和感もなく

歩くことができています。

でも先生は、

「何か気になることはありませんか?」と

いつものように聴いてくださいました。

先生は、いつも、何か心配なことはありませんか?

気になることはありませんか?と聴いてくださり

私はその都度、些細な異変や、気になることを質問していましたが、

先生は、いつも理由を添えて丁寧に説明してくださいました。

それも今日が最後だと想うと、

リハビリの必要がなくなるのは嬉しいのですが、

先生にお会いできなくなるのは、なんだかちょっと寂しい気もします。

 

私は先生に最後の質問をしてみました。

「先生そういえば、以前は靴ずれが出来なかった靴を久しぶりに履いたら、

骨折した方の足だけ、靴ずれができるんですよね。

なにか理由があるのですか?」

先生は、靴ずれができる場所を質問したり、

私を歩かせて歩く姿を観察して、

その原因と、

直すために普段どこに体重をかけるように意識したら良いかと、

左右のバランスを整えるための筋トレや運動を教えてくださいました。

 

家族や友人からは、

見た目はもう、以前のように普通に歩けてるよ。

と言われていたのですが、

やはり、先生はプロです。

素人では普通に観える歩き方も、

リハビリの先生はそうは観ないのです。

 

でもこれは、様々な職業、本質は同じだなと感じます。

私もMINDのプロとして、

その人が心に抱える、苦しみや辛さの根本原因を、

より見極められる人で在りたい・・・

そのためにできる学びを、

地道に重ねていくのであります。

 

私にはメンターという、

お手本になる先駆者が近くにいらっしゃるので、

学べる環境があることを幸運だと感じております。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

考え方で捉え方も変わる

「違いは価値」

この言葉は、

お互いの意見を尊重するという目的で、

メンターが開催する講習会の前に、

必ず確認していた言葉であり、

自分が講習を受講する立場の時はその都度、

何回も耳にしましたし、

自分が講師となってからは、

自分の口から発することが多くなった言葉でもありました。

いずれにしても、

メンターと出会ってから、何度も何度も、

聴いたり、口にしたりした言葉でした。

 

不思議なもので、何度も何度もその言葉に触れ、

相手の意見を尊重しよう!という意識が高まると、

日常生活においても、その考え方が定着し、

捉え方まで180度変わる(気がついたら結果的に変わっていた)

ということに最近気が付くできごとがありました。

 

メンターに出会う前(9年より前)の私は、

白黒はっきりさせないことが嫌いで、

1つの正解を求めたいタイプの人でした。

なので、その方(以下Cさん)には、

今から思うと本当に申し訳ないのですが、

「Aさんの意見も、Bさんの意見もどっちも正しい。」

というCさんのどっちつかずの在り方に対し、

好意的ではありませんでした。

 

しかし、Cさんとある会話をする中で、

Cさんの口から久しぶりに、

「Aさんの意見も、Bさんの意見もどっちも正しい。」

という言葉を聴きました。

その時の自分の感情にびっくりしました、

以前は好意的に想えなかった、

Cさんのその言葉、その在り方を、

反対に、とってもリスペクトしている自分に気付いたのです。

 

昔の私は、Cさんの在り方はどっちつかずでずるい。

と決めつけていました。

従って、その発言の意図もあまり深く考えていませんでした。

でも、Cさんの発言の意図を考えてみた時、

Cさんはどっちの意見も尊重するという意味で、

その言葉を発していたのだということに気が付きました。

 

「違いは価値」

この言葉を反復し意識したおかげで、

Cさんの「どっちの意見も尊重できるところ」を、

改めて尊敬できるようになりました。

大切なことに気付けるようになり、

Cさんの素晴らしい所にまた一つ気付くこともでき、

学びの大切さを再確認したことでもありました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

その疲労、当たり前だと想っていませんか?

メンターとで出会い、

コーチングを定期的に受けたり、

マインドのことを学んで、

自分でも自己肯定感を整える努力を積み重ねてきた結果、

格段に生きやすくなったなと想うことが様々あります。

 

その大きな一つとして、疲労感の軽減があります。

コーチングを受けたり、学んだりする前の私は、

とにかくいつも疲れていて、

特に、仕事、PTA、子供のスポーツの応援など、

外出して帰宅した後は疲れ方が酷かったです。

(ほんとは横になりたいのに、それでもなお自分の体に鞭打って、

完璧に家事や育児をこなすことに神経をすり減らしていました

イライラは自己認知のチャンス

何年も前、メンターから、

心理学では「怒り」という感情は二次感情で、

その奥には一次感情というものがある。

ということを教えて頂いてから、

イライラした時、怒りを感じた時、

その奥にある感情は何だろう?ということを

できるだけ考えるようにしています。

 

ただ、強い怒りを感じたヽ(`Д´)ノプンプン

とってもイライライした!!

という機会があまり無いと、当然ながら、

その奥にある一次感情は?という問いも生まれてきません。

 

しかし、父が亡くなってから、ここ数か月、

母に対して、イライラを強く感じることがよくあります。

そのイライラを母にぶつけてしまったりして、

その都度、自己嫌悪に陥るのですが、

そもそも、イライラの一次感情は何か?を、

紙に書き出してみるに、要するに、

母に対する失望感や寂しさだなということにたどり着きました。

例えば、

父が亡くなったことで改めてわかった、

母の新たな一面であるとか、

すっかり弱気になってしまって昔みたいにシャキッとした感じが

失われてしまった姿とか、

自分が想像していた以上に、聴覚などの衰えがきているなとか、

それに伴い、人への(特に私への依存度)も高まっているなとか・・・

そういったことに失望感や寂しさを感じるのです。

失望感や寂しさを感じたくないから、イライラという感情で、

オブラートに包んでいる。そんな感覚でしょうか?

 

恐らく、母にはいつまでも若々しく居てもらいたい、

昔みたいに、私に説教をしてくれるくらい、

シャキッとしていてほしい。

そんな、娘としての願望が強ければ強いほど、

イライラの度合いも増すのだと想います。

だって、他人には、ここまでの感情は湧き上がりませんから・・・。

 

私も、弱気になって、人に依存することはいくらでもありますし、

私が、母親に対していつまでも甘えていたいという気持ちも受け入れつつ、

母親と良好な関係性を築けていけたらなと想います。

私を育ててくれた、大切な人ですから・・・。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子