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自己肯定感ブログ

自己暗示の重要性

亡くなった父は、「大丈夫」が口癖の人でした。

腎臓病と心臓病を抱えていた父は、

やはり、時々体調を崩すこともありました。

貧血で輸血してもらったり、

血管を拡張する手術をしてもらったり、

胃腸の調子が悪くなって突然吐いたり・・・。

その都度、母が心配して、私に連絡をくれ、

「お父さん具合悪くて・・・」

と言うので、父に会いに行ったり、電話しても、

いつも父の返事は「大丈夫!」

根拠があっても、なくても、

「大丈夫!」です。

恐らく、81歳の父が大病を二つも抱えていながら、

亡くなる直前まで、自分で車を運転して透析に通ったり、

普段とほぼ変わらない生活を送ることができていたのは、

「大丈夫!」という言葉のパワーも1つにあったのではないかと想うのです。

 

どうしてそう想ったか?

昨日もご紹介した、今、私が読んでいる本、

外山滋比古著「新版 思考の整理学」発行所:筑摩書房に、

こんなこと(『』内のこと)が書かれていたからです。

『行きづまったら、しばらく風を入れる。そして、かならず、できる、よく考えれば、いずれは、きっとうまく行く。そういって自分に暗示をかけるのである。間違っても、自分はダメなのではないか、いや、ダメなのだ、などと思い込まないことである。(中略)
たとえ口先だけでも、もういけない、などと言えば、本当に力が抜けてしまう。自己暗示が有効にはたらくのはそのためである。』

 

父は、自分に「大丈夫!」という自己暗示をかけていたのかもしれません。

もちろん、家族に心配をかけたくないという配慮もあったと想います。

でもそれと同時に、それが父を本当に

「大丈夫」にさせていたではないかと想えるのです。

それともう1つ、上記の文章のように、

「もうダメかも」

そういった弱音を聞いたこともありませんでした。

ただ、急逝する数日前、体調が思わしくなく検査入院をするという父に、

「大丈夫?」とTELしたとき、

弱音は吐かなかったものの、いつものように「大丈夫」とは言わず、

今の状況のみを話してくれたことを覚えています。

今から思えば、いつものように「大丈夫」とは言えないほど、

あまり体調が良くなかったのかもしれません。

今となってはの話ですが・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

思考の型

父の急逝をきっかけにお休みしていた内省の日課を

再開するにあたり、

せっかくなので、バージョンアップしよう!と想い、

取り入れたのが、

マイメンターが配信されている、オンライン動画講座の中で、

紹介されていた内省のための質問です。

 

これまで私は、自身の感情を振り返るための質問を、

自分で考えて自分自身に投げかけていました。

その質問があまりに漠然としていたため、

答えるのに時間がかかったり、

毎日似たような感じの答えになってしまったりして、

なんとなくやりづらいな~。

なんとなく違うな~。

という違和感がありました。

 

メンターが紹介していらっしゃった質問に変え、内省をしてみて1週間。

その違和感が払拭されていることが実感できております!

順番に質問に応えていくだけで、

状況、感情、思考、学びなどが整理され、

しかも、時間もあまりかからずリズミカルに進めることができるのです。

やはり、自己流ではなく、プロの質問術を活用させていただくことは、

効果効率を上げていきますね!

 

ちょうど今読んでいる本、

外山滋比古著「新版 思考の整理学」発行所:筑摩書房に、

上記のようなことを説明する文章が記載されておりましたのでご紹介いたします。

『かつての学校では、ほとんどまったく、考えるということについて教えてなかった。それでも、気がついてみると、われわれはそれぞれ、いつのまにか我流の考え方、自分だけの考え方のまとめ方を持っている。
 どこで教わったというのではないし、とくに自分で工夫したということもなく、自然にある型のようなものができ上っている。その人の発想はこの型によって規制される。やっかいなのは、その型をみずからでは、はっきり自覚することが困難なことである。
 自分はどういう考え方をしているのか、ということを意識するには、ほかの人の型に触れるのが有効である。』

『』内 外山滋比古著「新版 思考の整理学」発行所:筑摩書房;より引用

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。


MindLabo代表 山本智香子

幼少期の環境と自己肯定感

自己肯定感オタクの私は、

ごくごくたまに出会う、

ネイティブに自己肯定感が高いな~

(=真の自己肯定感が整っているな~)と想う人が、

どんな家庭環境で育ったのか?が、

気になって仕方ないらしく、

気付くと、

どんなお母さまだったか?とか、

家族構成とか、ご兄弟との関係性とか、

ご家族とのエピソードなどを、

普段の会話の中で話題にして、

聞き出している自分がおります(^_^;)

その会話から得た情報から、

心理学や、脳科学の世界でも言われているように、

やはり、子供のころの環境、

特に家庭環境や、母親との関係性が、

自己肯定感に大きく影響を与えているということが、

見て取れるな~と私は感じます。

 

しかし、反対に、家庭環境が悪かったから、

自己肯定感が低いか?(=自己肯定感が整っていないか?)

という逆説が成り立つか?といったら、

その逆説は成り立たないと感じます。

なぜなら、自己肯定感は後天的に育むことができるからです。

 

私の知人にこんな方がいらっしゃいます。

彼は、自尊心が高く、自分のことも、周囲のことも、

大切にできる方です。

その方は、幼少期に両親を亡くし、親戚の家で育ちました。

その親戚の方はとても親切ではあったようですが、

養子に入ったわけではなく、苗字が別々だったこともあり、

子供ながらに、気を使って生活していたとおっしゃっていました。

家族や親の愛情たっぷりに育ったか?と言ったら、

そうではなさそうです。

少なくとも、上記に書いた、

ネイティブに自己肯定感が整っている方たちのような、

恵まれた親、恵まれた家庭環境ではないことは確かです。

 

彼がどうやってその自尊心(自己尊重)を育んだのか?

その過程は私も存じ上げませんが、

彼のスタンスを拝見していると、

「自己肯定感は後天的に整えられる」

ということの生き証人を観ているようで、

勇気と励みになります。

 

これは私の主観ですが、

家庭環境や育ちが良くて、

ネイティブに自己肯定感が高いな~

(=真の自己肯定感が整っているな~)という方は、

世の中それほど多くないと考えます。

私がこれまで出会ってきた人の中でほんの数名ですので、

恐らく、数パーセントと想います。

だから、ネイティブに自己肯定感が整っている人は、

超ラッキーと思って、そのままその自己肯定感をより大事に、

育んでいってもらいたいと思います。

そして、私も含め、そうではない大多数の人達こそ、

諦めず、真の自己肯定感を育んでほしいと想います。

その方たちの方が伸びしろがあって、

ある時点から、自己肯定感を整えることが、

とっても楽しくなるかもしれませんよ!

私のように・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

内省の重要性

先日、ブログを書くことに対して、

スランプを感じているという投稿をいたしました。

その原因の1つに、

そもそもブログをなぜ始めたか?という、

初心を忘れていたことがあるという投稿もいたしました。

 

そしてもう1つスランプの原因を見つけました。

それは、

内省の習慣をお休みしていたことです。

 

私のブログは、コーチングや本から得た、気付きや学びを共有することや、

私の想い(考え方・感情・イメージ)をお伝えすることで、

なんか勇気出た~とか、

共感できるな~とか、

なんか安心した~とか、

そういう考え方もあるんだ~とか、

反対に、自分はそうは思わない!でもいいので、

誰かのために、

何らかの気付きや学びになってもらったらうれしいなという想いで書いています。

 

ということは、自分が常日ごろ、自分の想いを知っておく必要性もあるのです。

無意識だったのですが、

内省の習慣は、そんな私のブログを書くための、マテリアルになっていたのだな~ということに、

内省の日課を再開して、

ここのところ、ブログを書くことに抵抗感もなくすらすらかけているな~という状態になって、

改めて気付くことができました。

 

内省習慣は、自分の想いを整理することや自分を知るうえで、

重要な役割を果たしているということは、

心理学、脳科学、スピリチュアル、ビジネスの世界など、

様々な分野で周知されていることです。

 

しかし、

実践しているかしていないか?

腑に落とせているかいないか?

は、自問する必要性があると想いました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

お彼岸の入り

今年のお彼岸の入りは本日ですね。

 

実家の父が亡くなり、初めてのお彼岸。

父は五男だっため分家で、

これまで実家には、お仏壇もお墓もありませんでした。

今年父が亡くなったことで、初めて実家に、

お彼岸のお墓参りなどが年中行事に加わりました。

 

私も、初めてのことでうっかりしていたのですが、

たまたま、実家に用事があって昨晩泊ったので、

今朝、お墓にお線香をたてに行ってまいりました。

1週間前に納骨をしたばかりだったため、

お墓のお掃除は軽くて済みましたが、

本来ならば、事前に心づもりしておくことだな~

ということに気が付きました。

 

以後、お盆や秋のお彼岸の時など、

これまでに無かった年中行事のことも、

気に留めておこうと想いました。

 

早速、スケジュール帳に記入しておきました!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

内側と外側のバランス

内省を日課としていた私ですが、

実はほぼ2か月ほど、やっておりませんでした。

きっかけは、父の急逝です。

しばらく、実家で生活することになり、

生活習慣や環境が変わったこともありますが、

きっと、どこかで、見たくない自分、

向き合いたくない感情などがあったのだと思います。

 

ここ数日は、内省の習慣を復活しました。

数日、やってみて気付いたことがあります。

それは、自分の内側(心、思考、感情など)をあまりにも目を向けないと、

意識が外側(環境、他者、できごとなど)に行き、

他責、批判的、被害者意識に偏っていたな~ということです。

 

もちろん、

向き合いたくない時に無理に向き合う必要はないと思います。

ただ、やはり、自分一人の時間をつくり、

自分の心身の状態を知ることを、できるだけ、

コンスタントに行うことは、とっても大事なことだったのだなと、

内省の日課しばらく休むという経験をしたからこそ、

改めてわかったことであります。

 

余談ですが、マイメンターが毎月配信していらっしゃる、

オンライン動画講座を受講しているのですが、

その中に、「内省」をテーマにした動画があり、

その中で、これいいな、取り入れてみよう!と思う、

内省のやり方が紹介されていたので、取り入れてみました。

 

自身の内省も、メンターの動画同様、日々進化しています!

進化できる環境。ありがたいですね!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

初心に帰る

昨日の投稿で、ブログに対して、スランプだとお伝えしました。

その原因を考えるに、

そもそもブログ投稿の原点は何だったのか?

ということを再確認しようと想い、

以前、利用させていただいていた、
(投稿は今でも閲覧可能)

はてなブログでの自身の投稿を振り返ることにしました。

投稿記事一覧の、一番上に記載されていた、

【はてなブログ最後の投稿】

というページを開いてみたら、答えがそこにありました。

 

以下、はてなブログに投稿した、自身の文章を引用

~約2年3カ月の連続投稿を支えたもの~

(中略)

1回の投稿は1000文字前後。

約1時間の時間を要す。

これを2年以上毎日続けることができた要因は何だろう?

①なぜかわからない使命感。

 だれからも頼まれていないのに、

 なぜかブログを投稿することが使命と感じている(笑)

②書き上げた後の満足感。

 毎回、自分の書いた文章を読み返しては、

 自分天才だな~と想って投稿している(笑)

③自分自身が自分のブログの読者であり、ファンでもある。

 だいたい、朝投稿し、その日のお昼に自分の投稿を再度読む。

 それが1日の中での楽しみの1つでもある。

④読者様がいらっしゃること。

 自分が自分のブログに対して、めちゃくちゃファンであったとしても、

 やはり読者が自分1人だけだったら心折れていたと想う。

 時にはアクセス数ゼロという日もあったが、

 たいていは、数名のかたがアクセスしてくださったり、

 スターを付けてくださったりしてくれたことは、

 とても励みになり、非常にうれしかった。

⑤自己肯定感の必要性と重要性を伝えたいという想い。

 やはり、これが一番大きいと思う。

 自己否定の辛さ、弊害、この経験を世のため人のために使いたい、

 そして、自分らしく在ることが、

 人生をより幸せで豊かに生きるために必要不可欠で、

 自分らしく在るための基盤が自己肯定感だということが腑に落とせたからこそ、

 より伝えたい気持ちが強いのだ。

この想いは、今後も自身のホームページで伝えていきたい。

以上、はてなブログに投稿した、自身の文章を引用

 

これを観て、

純粋に、ブログ投稿を楽しんでいたんだな~。

純粋に、自分が自分の最高のファンだったんだな~。

純粋に、真の自己肯定感の必要性と重要性を伝えたい。その想いでやっていたんだな~。

と想いました。

 

スランプの原因は、

「初心を振り返ることができなかった」

という1つの理由だけではないと想います。

 

ただ、定期的に初心に帰るという仕組みづくりは必要であると感じました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

スランプを受け入れる

ここのところ、ブログの文章がまとまりません(^_^;)

 

はてなブログというブログサービスを利用させてもらい、

毎日ブログを投稿するようになり、かれこれ3年半がたちました。

(昨年、自身のホームページを立ち上げたため、

それからはこちらのホームページのみ投稿しております。)

 

その間、スランプだな~と感じたことは、ほとんどなかったと想います。

 

認めたくないのですが、

ここのところ、スランプなのだと想います。

生活や環境の変化で、生活のリズムが変わったこともありますが、

習慣化されていたブログが、書けないことがあるのです。

それでも何とか毎日の投稿は続けておりますが、

Must感、焦燥感、などにかられてやっていたな~と想う日もありました。

恐らく、そういう日のブログが「文章がまとまらない」と感じる原因なのだと想います。

 

正直、純粋にブログを書くことを楽しめなくなっている自分のことを認めるのは、

とっても嫌でした。

でも、真の自己肯定感の必要性と重要性をお伝えしている私が、

そんな自分を認めてあげないのはおかしい、

認めてあげなければいけないと想いました。

 

私は、立派な人間ではありません。

弱い所もいっぱいあります。

でも、こんな自分だからこそ、こんな自分をさらけ出すからこそ、

伝えられることがあると想っています。

 

まずは、スランプの原因と想われるものを考えて、

ピックアップした原因を、1つ1つ改善してみます!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

離れて暮らすようになって3年の家族

卒業シーズンですね。

高校や大学などを卒業されるお子様がいらっしゃる方の中には、

そのお子様が1人暮らしをスタートされるという方も、

いらっしゃるのではないでしょうか?

 

私も、3年前の今頃は、もうすぐ訪れる、

息子たちとの別れを前に、

息子たちの望む未来を応援できる喜びと、

そうは言っても、もう、家族一緒に暮らすことはないだろう、

という寂しさや喪失感で、なんとも表現しづらい、

複雑な心境であったことを今、思い出しております。

 

2021年3月。卒業と同時に、

それぞれにやりたいことを決め、

実家を出て、遠く離れてく暮らすようになった息子たち。

その2か月後、結婚生活を卒業した私たち家族は、

それぞれ離れて暮らすようになりました。

それから3年の年月を経て気付いたことがあります。

 

それは、

離れて暮らしていても、家族のきずなは離れていない。

むしろ、一緒に暮らしていた頃より強くなっている。

ということです。

 

 

「相手が心配するから、自分でできることは自分で何とかしよう。」

私たち家族は、それまで、お互いに遠慮が強かったのかもしれません。

そのスタンスが悪いわけはないですし、

むしろ、相手への思いやりであったり、

自立するという意味では、

大切になってくるスタンスではあると想います。

でも、自分で何とかしよう!を自分1人で何とかしよう!

と1人で頑張る傾向性が、1人暮らしをするようになって、

お互いが強くなっていってしまったように思います。

そのために、もっと早く頼っていたら、

もっとよい改善策があったのに!というような出来事が、

特に息子たち2人には多かったように思います。

それが、だんだんわかってきて、

自分1人で何とかしよう!が、

頼れる人を頼って、自分で解決しよう!というスタンスに変わってきたように思います。

「頼れる人」という中で、大きくその割合を占めるのが家族です。

 

今日も、会って話す必要があると判断し、

東京に住む次男のところへ、急遽、長男と2人で行ってきました。

最初、怪訝そうな顔をしていた次男も、

3人で話しをして、考えや状況などを口にしたり、

口にしたことを書いて見える化したことで、

今後の方向性が見えたようで、帰る時は、

「来てくれてありがとう」と笑顔で挨拶してくれました。

 

これも、別の所に住む、別の家族2人の言葉や支援があったからこそ、

できたことです。

 

一緒に暮らしていたときは、いつでも話せるから・・・

という甘えがあったせいか、後から思えば、

重要事項だったことも先延ばしにしていたことも多々あったように思います。

 

わざわざ遠くから、しかも2人で駆け付けた、

ということから、事の重要さに気付くということもあるようです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

より存在を感じる

51歳になるまで、家族が亡くなるという経験をしてこなかった私。

1月に父が急逝するというできごとを経験し、

「記憶」に対するイメージ(考え方)が変わりました。

 

これまでの人生では、

その人と過ごした日々の記憶、

その人と過ごした想い出というのは、

時間とともに薄れ、

その存在も感じなくなっていくんだなという経験を多くしてきたように思います。

例えば、遠い昔、お付き合いしていた彼などがその例です。

どんなに、関係が近くて、

お別れした時はとっても悲しかったり、寂しかったりしても、

時間とともに、その感情や記憶は薄れていきました。

だから、これまでの人生は、悲しい出来事などがあれば、

時が解決してくれる!と想って、

記憶が薄れていくのを時間に委ねるということも多くしてきました。

 

でも、父に関しては違います。

父と行ったことがある場所、

父と一緒にやったこと、

父にやってもらったこと、

父との間で習慣になっていたことなど、

その場面、その場面で、父の存在を想い出すのです。

亡くなって時間が経っても、いえ、

時間が経てばたつほど、父の存在を感じるのです。

 

私はその時、父がもうこの世にはいないという寂しさよりも、

むしろ、父が今、近くにいてくれている、

そんなふうに思えるのです。

 

なぜ、そんなふうに想えるのか?

きっと、メンターの一言のおかげです。

父が、亡くなった直後のセッションで、

ご自身の経験をもとに感じたことを私に伝えてくださいました。

その、言葉のおかげで、

父を近くに感じられるようになったのだと想います。

 

父を想ったときに、父は近くいる。

そう想うと、

「大丈夫」が口癖だった父の存在を、

より強く感じるのです。

 

メンターがおっしゃっていたことはこういうことか・・・

実感と共に、自分なりにですが、

少し解釈できてきたように想います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子