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気付き

Why型思考

今、細谷功著 PHP研究所発行の

「Why型思考トレーニング

自分で考える力が飛躍的にアップする37問」

を読んでおります。

こちらの文献の特徴は、

まさに、なぜ?Why型思考が必要なのか?

ということが書かれており、

What型思考とWhy型思考の対比やその具体例、

考えられるパターンなどの説明や、

表やグラフや図による解説もついており、

とってもわかりやすく、興味深い内容ばかりです。

 

最近の私の読書傾向は、

自分の必要なところを拾って読むということ(速読傾向)が多かったのですが、

こちらの本は、最初から順を追って丁寧に読み進めております(^_^)

 

読んでいて、様々な気付きが得られるのですが、

私の中で特に印象に残った1つを記載したいと想います。

 

亡くなった父は、割合的に、

Why型思考が多い人だったな~と認識しております。

その要因の大きな一つがきっとこれなんだろうな~という、

答えが上記にご紹介した本に載っており、

目からうろこが落ちるようでした。

 

それは、

「日本の伝統的徒弟制度は格好のWhy型教育システムだった」

ということです。

『修業時代、駆け出しのころは、本業とは関係のない雑用がほとんどで、

その合間に、教わるのではなくて「見て覚えろ。盗んで覚えろ。」

というのが基本的な考え方で、

盗んで覚えるには、必然的に「なぜ(Why)ああするんだろう?」と、

自分で考えなければならないからということが理由だそうです。』

(『』内、私の解釈です。)

 

父は、母子家庭で育ち、経済的理由から、

15歳で大工の道を進むことを選びました。

最初は、住み込みで働いていて、

ご飯を炊いたり、そんなこともやっていたそうです。

学校の勉強はあまりしなかったという父が、

しっかりと考えられる人だった理由をここに見つけたように感じました。

 

学校の勉強ができることがしっかり考えられることと、

イコールではないようです。

むしろ、現在日本の学校教育システムが、

What型思考に偏った人を創り出している原因の大きな1つだということも、

この文献の興味深いテーマの一つでもあると、

個人的に感じております。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

エステの体験

三重の菰野にリトリートに来ております。

 

そして、全身エステを体験いたしました。

目的は、付いたものを落とすためです。

ちなみに付いたものとは?

角質、疲れ、負の感情など、様々です。

 

穏やかな音楽が流れる中、

香り高いアロマオイルで、

顔と全身をマッサージしていただきました。

痛てててて、、、となる箇所がありましたが、

その痛さが適度で心地よく、

フェイシャルエステの時は、

気持ちよすぎてうとうとしました✨

 

施術を終え、鏡を見るとびっくりです。

目の下に常時あったクマが、とっても薄くなっていたのです。

年齢のせいと決めつけ、諦めていたのですが、

血行不良によるクマの場合、

マッサージによって血行が良くなると改善される場合が多い

とエステティシャンの方がおっしゃっていました。

普段やらないことをやってみることは、

自分の生活範囲内では得られづらい情報が入ってくるものなのですね!

セルフケアの必要性を学ばせていただきました。

 

心身ともにすっきり、さっぱりし、

目的の、

「ついたものを落とす」

を達成することができたと感じております(^^♪

目には見えないあるものも・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

まずは駆け付けることに意味がある

何か困ったことが起きたとき、

病気になったり、怪我をしたときなど、

誰かにそばにいてもらって、

心強かった、うれしかった、気が休まった、

なんて経験は、少なからず誰もが経験したことがあるのではないでしょうか?

 

反対に、自分がそうしてあげたことで、

喜ばれたということもあると想います。

 

昨年、東京に住んでいたときのことを想い出しました。

東京から片道2時間以上かかる遠方で、

ある仕事を依頼され、駆け付けたときのことです。

実は、依頼してくださった方はその当日体調不良に見舞われ、

その仕事自体をリスケしてもらおうと依頼元の企業様に連絡しようと考えるくらい、

その症状が悪かったのだそうです。

でも、「山本が片道2時間以上もかけて来てくれる。」

と想ったら、それがエネルギーになって、リスケしない選択をし、

薬を飲みながら、何とか当日を乗り切ったのだそうです。

そのお話を、だいぶ後になってしてくださったのですが、

当時、そこまで体調が悪かったとは思えないくらいの

パフォーマンスでお仕事をされていたことを思い出し、

私はその時、私の存在や、その場所へ向かうために使った、

時間や労力がその人へ与えるパワーに比例するんだということに気付かされました。

 

お仕事に行くのですから、与えられた役割や業務を行うのは、

当たり前なのですが、まずは、前提として、

自分の存在や、そこまで行くことに時間や労力を使うことに意義がある。

ということが、その出来事以降、心の土台となっているため、

業務に対する不安に囚われそうになっても、

「まずは行くだけで力になれる!」と自分自身にその言葉をなげかけ、

その自信が、業務に対する不安を軽減してくれることにも気が付きました。

 

自己否定の塊だったころの私であれば、

そのように想うことは無かったですし、

そもそも、

私なんかが行っても、迷惑かも。

足手まといになるかも。

と想って、お仕事自体も引き受けることができなかったと想います。

 

地道に、自己受容、自己信頼、自己尊重を整えてきた成果と捉えています。

 

だれでも、何歳からでも、後天的に自己肯定感は整えられる。

自己否定の塊のような私でさえもそうだったのですから・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

前向きな捉え方をする前にやること

昨日、けがをしてしまい、

全治3か月との診断をいただきました(^_^;)

進んでいたお仕事のお話があり、

明日はその面談日だったのですが、それもキャンセルとなり、

3か月間の健全な身体と、未来のお仕事を掴むチャンスを、

2つ同時に失うこととなりました。

 

これまで、いろいろな考え方、捉え方の技術を学んできたので、

この出来事に対して、

宙はどんな期待があって、私にこのような出来事を与えたのだろう?

どんな学びがあるのだろう?

どんな意味があるのだろう?

今すぐでなくても、

「あ~あの時の経験にはこんなメッセージ性があったんだ」

と想う時がきっとくる。

と考えてみたり、

「人生いろいろありますわ~」と笑い飛ばしてみたり、

してみました。

 

しかし、なんだかしっくりこないのです。

 

そう、前向きな捉え方をする前に、

大事なことを1つやるのを忘れておりました。

それは、感情の受容です。

何か意味があって、この出来事は起きたのでしょう。

でも、そうはいっても、

自分の不注意で起こしてしまった出来事でもありますし、

悔しいのです。

あの時、なんであんな行動をとってしまったんだろうと、

自分を責める気持ち、後悔の気持ちがあるのです。

その気持ちを認め、受容することなしに、

ポジティブ思考を働かせようとしても、

それは上手くいかないでしょう。

自分の心にふたをした状態なのですから・・・。

 

あの一瞬の出来事が、

3か月間に及ぶ行動の自由や、仕事の機会を失ったら、

そりゃ悔しいよね。

自分を責めたくもなるよね。

後悔もするよね。

 

人の在り方はゆらぐもの。

自己肯定感100%で生きるのは困難であり、

自己否定感とのバランスが大切です。

頭でわかっているのと、できるのは違いますね(^_-)-☆

そういった意味でも、

この出来事は私に1つ鍛錬を与えてくれています。

きっと、ほかにもまだまだ、メッセージが隠されていると想います。

それを見つけ出すのが楽しみです。

 

ちなみに、自己肯定感と自己否定感の割合は、

7対3くらいでバランスをとるのがいいそうですよ~。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

静かに話せば、怒りは鎮まる

皆さんは、怒りが増せば増すほど、

声が大きくなることありませんか?

 

今、レス・ギブリン著 弓場隆訳 

ディスカバー・トゥエンティワン発行の

「人望が集まる人の考え方」

という本を読んでいます。

 

「読んでいる」と言っても、

最初から最後までくまなく読むという読み方ではなく、

自分の欲しい答え、自分の欲しい情報を能動的に

掴みに行くという読み方をしております。

具体的な方法としては、

まず、目次やあとがきなど、本文以外のところに目を通し、

自分が必要な情報、自分の目的に合った知識などが載ってそうな場所の目星をつけ、

本文にパーッと目を通し、

答えに関連したワードや文章をノートに書きだすという方法です。

 

パラパラとページをめくっている際、

自分が探している情報ではないけれども、

目に留まった文章がありました。

それが本日のタイトル、

「静かに話せば、怒りは鎮まる」

です。

 

なぜ、この文章が目に留まったのか?

 

ここのところ、実家の母と口論になることが多く、

感情的になり、どんどんと声が大きくなる自分に、

嫌気がさしておりました。

その対処法の1つだったからだと思います。

 

以下、『』内、レス・ギブリン著 弓場隆訳
ディスカバー・トゥエンティワン発行
「人望が集まる人の考え方」より引用

『確実に言えるのは、大きな声を出せば出すほど、ますます腹が立つという事実だ。

心理学の研究によると、常に声を小さくすると腹が立たないことが証明されている。』

 

以前、こんな声を周囲の人から聞いたことがあります。

「親が年を取って耳が聞こえなくなってくるとさ~

話す声がどんどん大きくなって、

普段の会話も喧嘩してるみたいになるんだよね~」と・・・。

これは、自分自身も最近とっても同感だな~と感じていたことでした。

喧嘩してるみたいというよりは、うちの場合、もはや、喧嘩。

 

その原因の1つが、「声の大きさ」だということが、

これまでなんとなくそうじゃないかな?と想っていたものの、

心理学の研究でのエビデンスがあるということで、

確信と、納得感が得られました(^^♪

それにより、耳の聞こえが悪くなった母と口論になる回数が増えたのは、

仕方のないことでもあるのだな、と想えるようになり、

自分に対する嫌悪感が軽減されました。

 

耳の聞こえが悪い母ではありますが、

「静かに話す」という意識をもって、

コミュニケーションを良好にとりたいと想いました!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

お彼岸の入り

今年のお彼岸の入りは本日ですね。

 

実家の父が亡くなり、初めてのお彼岸。

父は五男だっため分家で、

これまで実家には、お仏壇もお墓もありませんでした。

今年父が亡くなったことで、初めて実家に、

お彼岸のお墓参りなどが年中行事に加わりました。

 

私も、初めてのことでうっかりしていたのですが、

たまたま、実家に用事があって昨晩泊ったので、

今朝、お墓にお線香をたてに行ってまいりました。

1週間前に納骨をしたばかりだったため、

お墓のお掃除は軽くて済みましたが、

本来ならば、事前に心づもりしておくことだな~

ということに気が付きました。

 

以後、お盆や秋のお彼岸の時など、

これまでに無かった年中行事のことも、

気に留めておこうと想いました。

 

早速、スケジュール帳に記入しておきました!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

同じ失敗を繰り返さないためのリフレッシュ

父が急逝したことをきっかけに始めた、

実家の母との生活も1か月以上が過ぎました。

一緒に住んでみて改めて想うのが、

実の親子であっても、

考え方、価値観、生活スタイルなど、

相違するところがかなりあるということです。

育った時代も違えば、生きてきた環境も違います。

ましてや、私が25歳でお嫁に行き、

その倍以上の年月を離れて暮らしていたのですから、

違いがあって当然なのです。

頭ではわかっていても、その違いを受け入れられず、

イライラしてストレスをため、時にはそのストレスが爆発し衝突するなど、

心穏やかでいられないことが、

一緒にいる時間が長くなればなるほど増えていきました。

 

そこで先週末は、2~3日、自宅へ戻り、母と離れて暮らしてみました。

1人になって改めて、自分が想っていた以上に心身の状態が悪いことに気が付きました。

まずは、体を休めたり、好きな事をしてして過ごしたりして、精神状態を改善しました。

心身が楽になり、自分を冷静に観ることできたのか?

次に気付いたことが、イライラしていた原因です。

違いを受け入れられない自分に罪悪感、自己嫌悪感を抱いていたのです。

器が小さくてダメだな~、

母は父を亡くして気を落としているのに優しくできない自分てほんとにダメだな~と・・・。

 

違いを受け入れられない自分、器が小さい自分、優しくない自分が嫌いなんだね。

そんな自分を許せないんだね。

相手が、大切な人であればあるほど、罪悪感、自己嫌悪感が大きいのかもしれません。

でも、感情は湧き上がってくるものだから仕方ありませんし、良い悪いもありません。

受容して手放す・・・

受容して手放す・・・

玉ねぎのようです。

 

自分の状態が悪い時は、イライラの原因を外側(母や環境や出来事)に持って行っていました。

外側に持って行っている(他責になっている)ということに気付いてはいるのに、

自責に変えることができませんでした。

それほど、心身に余裕が無くなっておりました。

そうなる前に、今週末も1~2日、1人の時間をつくり、好きな事をしようと想います(^^♪

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

感情は影響しあう

ここのところ、

マイナスな感情で過ごすことが多いです。

まだそれが、俯瞰できていればいいのですが、

ついつい感情に反応的になってしまいます。

最近特にそういう傾向性が強くなっていることには

気付いているのですが・・・

感情は影響しあうのでしょう。

現在、同居している母から負の感情を受け取り、

それを私が増幅させて母に影響を与え、

というスパイラルに陥っております(^_^;)

 

気付いた私が断ち切らないといけませんね!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

自己理解は幸福の鍵

思春期の頃、他人の目を気にするようになり、

それから約30年もの間、

自分の想い(考え方、感情、イメージ)、気持ち、本心よりも、

周囲からどう想われるか?

変な奴だと想われやしないか?

嫌われないか?

を先に考えることが習慣化され、

意識が自分の内側ではなく外側に向いていることが多い人生を

歩んでまいりました。

 

今から想うと、それが、

自分は何が好きで、何が嫌いで、

何がしたくて、何をしたくなくて、

など、

自分というものがわからなくなってしまった、

大きな原因の一つであったのだと想います。

自分のことがわからないと様々な生き辛さを生み出すということが、

マインドセットコーチングを受け、自らも学び、実践してきた結果、

自分のことがやっとわかってきた今だからこそ、わかります。

(やっとわかったと言っても、

人間の約9割以上を占めると言われている潜在意識のうちの

ごくごく一部を知った程度ですが・・・)

 

その様々な生き辛さとは、

例えば、

他者理解もできないため、周囲と真のコミュニケーションができない。

であるとか、

 

例えば、

自分がどうしたいかわからないから、なかなか決められない。悩む時間が多い。

であるとか、

 

例えば、

物事に対する理由付けが常に外側(環境や他者や社会)で、

他責になりやすく、自己成長も少ない。

であるとか・・・

挙げようと想えばまだまだ出てきそうです。

 

ほんの少し、自己理解が深まっただけでも、

上記の生き辛さがかなり改善されましたし、

自分をどう扱ったらご機嫌でいられるか、

心地よくいられるかなど(自分の取説)、

少しづつ、少しづつわかってきたので、

本当に楽になったな~、軽やかになったな~と感じます。

 

自分の内側に意識を向ける時間、

忙しければ忙しいほど、より重要で必要であると感じます。

子供との大切な時間を、うつという病の中で、

費やしてしまった私からのメッセージです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

自己肯定感という本来の言葉の意味

今、自分の中で、迷いが生じています。

それは、「自己肯定感」という言葉をこのまま使い続けていいのか?

という迷いです。

私は、自己肯定感オタクですので、

その言葉自体も好きです。

そして、「自己肯定感」という言葉が、

世の中に浸透していることもうれしいです。

例えば、YouTubeで、

「自己肯定感」そのものをテーマにしたチャンネルもありますし、

そうでないチャンネルでも、対談や出演者の会話の中で、

ごく自然に「自己肯定感」という言葉が使われています。

日常の中でも、

たまたま、飲食店で隣の席に居合わせた友達同士のグループ、

サラリーマンなどの会話からもよく耳にしますし、

職場でも、(特に20~30代の若い世代の方の)

会話の中にネイティブに使われています。

 

しかし、その会話の内容や、言葉の使い方を聞いていると、

自己肯定感は高めなければならないもので、

(自己肯定感が低いのは良くないというジャッジがある)

その言葉のニュアンスからなのか、

自己を肯定することで高められると想っている傾向性が強いと感じるのです。

それにより、

自分を肯定できる要素ばかりに着目したり、

自分を肯定できる要素を無理に造ったりして、

自己肯定感を高めようとする傾向性も感じるのです。

その結果、自分を容易に肯定できない要素(ネガティブな要素)から、

目を背けることとなり、

目を背けられた(無視された)部分の自分も確かに自分の中に存在するのに、

その存在を否定していることになっている。

それに気付かないから、無視された部分の自分の自己否定感が

無意識に募り、自分が自分で無くなり、生きづらさを感じることに繋がる。

そういった図式が自身の中で想い描かれ、

自己肯定感という言葉の本来の意味が正しく伝わっていない傾向性が強い現在の日本の中で、

「自己肯定感」という言葉を使い続けると、

かえって、自己否定感を募らせてしまうことになるのではないか?

そう感じるのです。

 

自己肯定感という言葉の提唱者とされる高垣忠一郎氏は、

ご自身の著書の中で、

「自己肯定感の言葉の意味に気をつけてほしいということ」として、

以下のようにおっしゃられています。

『人間の自己肯定感は、存在丸ごとの自己肯定感ー自分が「あるがままの自分であって大丈夫」という感覚ーでなければならない。

そうではなく、人間の、ある部分的な能力や特性の評価に基づいて自分を肯定する自己肯定感は、いわば、「人材=誰かの道具」としての「自己肯定感」に変質してしまう。』

(『』内高垣忠一郎著「悩む心に寄り添う 自己否定感と自己肯定感」新日本出版社より)

 

本来の「自己肯定感」という言葉の意味も、同時に伝えていかなければならない。

もしくは、解釈がズレないような新たな言葉、別の言葉に変えて必要があるのではないか?

 

最近の心のモヤモヤです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子