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自己肯定感ブログ

亡き父の人柄を知る

昨年、東京と信州の二拠点生活をするために、

愛車を手放した私。

東京から戻り、車社会の信州で、

車を持たない選択をしようとしていた矢先、

父が急逝し、父の車を私が引き受けることになりました。

 

今日は、車検に出してあったその車を、引き取りに行く日でした。

車検をお願いしたところは、

父が約50年、車の購入からメンテナンスまで全てを依頼していた、

個人経営の車屋さんです。

その車屋さん(以下Kさん)は、やることが丁寧、親切で、

両親ともに、信頼を寄せている方でもあります。

 

車を取りに伺うと、

ピッカピカに磨かれた、父の車がそこにありました。

そして、まだ何か作業をしているKさん。

Kさんのところに近寄ると、

「まだちょっと気になるところがあってね。

もう少しだけ待っててくれる?」とおっしゃって、

すでにピッカピカの車なのに、隅から隅まで、

丁寧に仕上げてくださいました。

「お父さんにはお世話になったし、

お父さんの形見の車だから、特に大事にしてあげないと。

そう想いながら、少しずつ少しずつ手でワックスがけをしたよ。」

と・・・。

その想いが、車に表れていて、

10年経つ車とは思えないほど、

新車のようなつややかさが蘇っていました。

 

Kさんのお人柄良いことはさることながら、

そんなKさんからも父は慕われていたようで、

父の人柄も垣間見れた瞬間でした。

 

亡くなってからの方が、

外での父のことを知る機会が多いように想います。

 

余談ですが、

そのKさんと両親にはシンクロニシティがあって、

50年前東京に住んでいたとき、住んでいた場所の目と鼻の先にある、

大手カーディーラーに当時Kさんが勤めていたとのことでした。

父とKさんは信州に戻ってきてから、初めて出会ったそうなのですが、

会話をする中でそのことを知り、お互い、

「えー、あそこのディーラーに勤めてたの?!!」

「えー、あそこの都営団地に住んでたの?!!」

と、ディーラーも都営団地も至るところにある大都会東京で、

そんな偶然があるなんて!と何か深いご縁を感じていたようです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

  • Category:感謝
  • Author:mind-labo

気にしすぎる性格に良い悪いはない

皆さんは、

HSP(Highiy Sensitive Person)をご存知ですか?

その意味を簡単に言うと、

「人一倍繊細な気質をもって生まれた人」で、

「こうした気質を持つ人は職場や家庭など生活の中で気疲れしやすく、
生きづらいと感じているタイプの方が多い。」
(「」内、品川メンタルクリニックホームページより引用)

と言われています。

 

私が、このHSPについて知ったのは、

5年くらい前、友人の紹介で読んだ、

武田友紀著 飛鳥新社出版

「繊細さんの本」がきっかけでした。

そして、私にもHSPの要素がかなりあるなという、

自覚を持つきっかけにもなりました。

HSPの自覚を持てたことや、

HSPが生きづらさの原因の一つであることを知ることができただけでも、

かなり生きやすくなったのですが、

今でも、

「細かいね」とか「敏感だね」とか

「細かいとこまで気にしすぎじゃない?」

と何気なく発せられた相手の言葉に、

すごく嫌な感じを抱く自分がいます。

 

今日も、

私の繊細さを指摘するような発言を受けて、

嫌な気持ちになりました。

別に、それが悪いと否定されたりしたわけでもないのにです。

このモヤモヤとした感情は何だろう?ということを深堀したくなり、

時間もあったので、思うがままのことを紙に書いてみました。

そんなことをしているうちに、ふと、ある記憶を想い出しました。

中学生の時(かれこれ35年以上前)の記憶です。

ある先生に、提出物の提出期限を過ぎてしまった理由を話しに行ったら、

何を言われたかその内容を詳細まで覚えていないのですが、

「そんなこと(先生にとってはどうでもいいこと)を気にしてたら~~~」と

と、私が気にしすぎであることを指摘し、それに対して否定的なことを言われ、

とっても恥ずかしくなり、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえて、

席に戻ろうとしている自分の姿を想い出したのです。

恐らく、小さいころから、母親や友達から、

「そんなに細かいこと気にすることないのに」

というようなことはよく言われていたような記憶はあります。

ただ、それを言われても、たいして気にも留めていなかったようにも想います。

もしかしたら、あの中学の時の出来事が、

「細かいことを気にすることは悪いこと」

という思い込みを決定づけたのかもしれない。

という仮説が自分の中で生まれました。

だから、別に、否定されたわけでもないのに、

自分の繊細な所を指摘されると、

反射的に嫌な気持ちになってしまうのではないのかと・・・。

 

あくまでも仮設であって、

その仮説があっているか?

全部でなくても一部は合っているのか?

正直、分かりません。

 

でも、中学の時の先生には悪いのですが、

全て先生のその言動のせいにしてしまえば、

「気にしすぎる性格に良い悪いはない」

という頭では理解していても、

実際には受容できていなことを、受容できる。

そんな気になってきました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

短絡的な思い込み

知人に、

営業職から製造業の作業員に転職した方がいらっしゃいます。

転職の理由は、

その方は、筋トレが趣味(ボディービルダー)で、

「製造業で重たいものを持つこと自体が筋トレになるから」

ということでした。

きつい、汚れるという理由で、

世の中では敬遠されがちなその仕事に対し、

その方が、あまりにも幸せそうにそのお話をされるので、

私は単純に「好きなことを仕事にするパワーってすごいな」と捉えました。

その印象がとっても強く残っており、自分の中に、

「自分の趣味と共通性のあることを仕事にすることは幸せ。」

という思い込みをつくることに影響を与えたことは間違いないでしょう。

また、日ごろ、SNSなどから受動的に得ている情報で、

好きなことを仕事にして、

「楽しく仕事してます!沢山稼いで幸せです!」

という、ポジティブな側面しか映さないものからの影響も、

かなりうけていたんじゃないかな~とも想います。

 

確かに、

自分の趣味と共通性のあることを仕事にすることは幸せ。

という側面はあると想います。

ただ、自分がそういう思い込みを基に仕事選びをして、

実際にはそうとも言い切れない側面があるという経験をしてからは、

自分のやりたいことと好きなことは別で、

やりたいことをやるためには、

好きじゃないこともやらなければならない場面もあって、

・本当にやりたいことのためなら好きじゃないこともさほど苦にならずできる。

・自分の趣味と共通性のあることを仕事にすること「も」幸せ。

・自分の好きなことを仕事としてやりたいかどうか?は別。

・自分の好きなことを仕事として選ぶかは自由。

そんないくつかの考え方を持つことができるようになりました。

 

 

そもそも、なぜ、短絡的な思い込みをしてしまったのでしょう?

 

表面的なことでしか物事を捉えていなかったことにあると想います。

具体的にどういうことかというと、

先にご紹介した知人の例で言うと、

転職後とっても幸せそうに見えたのは、

・転職する前の営業職がとっても辛かったからかもしれない。

・力仕事をすることだけじゃなくて、職場の人間関係も良好なのかもしれない。

・心身の状態を良くする、別の健康法などをやっているのかもしれない。

・プライベートで良いことがあったのかもしれない。

など、様々な複合要素から、

その人の今の状態が作り出されているという視点が足りなかったということです。

 

そう考えると、SNSの投稿は、その人のことを良く知らないのであればなおさら、

なぜこの人(この企業)が、この投稿をしているのか?

背景として考えられることはなにか?

様々な視点が、必要となってくると想います。

私のように、短絡的な思い込みを避けるために・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

罪悪感からの選択はやめようね。のサイン。

最初にお伝えしておきますが、

道徳的判断をするうえで、罪悪感は大切な感情です。

だから、罪悪感が悪者ということでは無く、

むしろ重要な感情なのだけれども、

その使い方を間違えないようにしましょうね~というのが、

今日のブログのお話です。

 

 

収入がない、または極端に少ないと、

日常生活を脅かすことなどに繋がるので、

不安感が増すのは人間の本能です。

そしてその不安が増せば増すほど、

早く仕事を決めないといけない!という焦りも募らせます。

 

昨年12月、東京から信州に戻ってきて、

1月から働き始めていた矢先、父が急逝。

80歳を過ぎた母を急に1人にするのは、

精神的にかなりの負担になることが予想されたこと、

実際に母からもしばらく一緒に暮らして、

父が亡くなった後の手続きなどを手伝ってほしいと言われたため、

事情をお話して退職することとしました。

それにより、失業給付を受ける手続きをしたため、

しばらくは安定した収入があり、

焦って仕事を決めなくてもよい状況になりました。


しかし、これは私の特性なのかもしれませんが、

心身ともに元気で働ける状態なのに、

仕事をしていないことに罪悪感を感じてしまいます。

今から思えば、

この罪悪感から逃げたかったのでしょう。

焦って仕事を決めなくてもいいと頭ではわかっているものの、

どうしてもこの仕事がやりたい!やってみたい!というよりは、

納得いく理由を無理矢理自分に言い聞かせて、

仕事探しをしていました。

そんな中、ある企業様との面接を2日後に控えた日に骨折してしまい、

そのお話は流れてしまいました。

これは、「強制終了」だなと直感で思いました。

 

そして、強制終了の答えの一つがまた新たに見つかりました。

それが、今日のテーマ「罪悪感からの選択はやめようね。」です。

 

今、私は、「仕事をしていないことに罪悪感」を感じていません。

なぜなら、足の骨折治療中だからです。

働く事が出来ない公然とした、自分への言い訳があるからです。

 

ただ、そうは言っても、仕事探しは出来るし、働く意思もあるので、

なんとなく気分がよく気が向いたときに、

PCでデスクワーク限定の仕事探しをしていました。

そして、ふと、目に留まった求人から、その法人様のホームページを開くと、

自分の価値観と共通点が沢山あったり、

自分が今までやりがいを感じた仕事に近かったりと、

この仕事がやりたい!やってみたい!というものが見つかったのです。

応募するにあたっての提出書類も、熟考に熟考を重ねました。

これまでとは明らかに、応募への熱量が違います。

 

他にも、罪悪感で選んで、よろしくない結果になることはないかな?

と考えてみました。

例えば、

断ることに罪悪感を感じ、

行きたくない誘いに応じて、疲弊したり。

疲弊までしなくても、心の底から楽しめなかったり。

例えば、

自分に高価なものを買うことに罪悪感を感じ、

「これ欲しい!」と思った物の値札を見て高価だと思い、

妥協して安いのを買って、結局あまり使わず処分することになったり。

 

そんな経験って、皆さんにはありませんか?

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

母の喜ぶ顔

もうすぐ、母の日ですね。

 

母は、花が好きなので、

今年も花を贈りたいと伝え、

花屋さんへ一緒に行って、

好きな花を選んでもらうことにしました。

 

母の日には、少し早かったのですが、

週末は混むでしょうし、

私は今、松葉杖生活なため、

特に人混みを避けたく、

今日という選択はナイスだったと想います(^_^)

 

予想通り、店内はさほど混んでいませんでした。

母は、私が今、仕事もしていないし、

怪我をして出費も重なっているし、

ということを踏まえて、遠慮していたのでしょう。

「こじんまりした感じのでいいよ~」なんて、言います。

でも、私は年に一度のことなんだから、

遠慮はしないでほしいな~と内心思っていました。

 

そしてふと目に入ったのが、

花の数は10個くらいで、

それこそ、こじんまりしているのですが、

濃い紫と淡い紫のコントラストが、

とっても優しくて、エレガントな感じがする

鉢植えのお花です。

母が好きそうな色でもあります。

 

「お母さん、あの花どう?」と言って、

近くまで、見に行きました。

その花の近くには、胡蝶欄が多く飾られていたので、

欄の一種かな?とは思ったのですが、

見慣れている欄とは違ったので、

店員の方に聞いてみたら、やはり、

ちょっと珍しい種類の欄だとのことでした。

母も気に入ったようだったのですが、

値札を見て、遠慮している感じなのが伝わってきました。

「さっきこじんまりしたのがいいって言ってたじゃん。」

と半強制的にその紫色の欄を購入しました。

 

帰宅し、亡くなった父の遺影の近くに、

早速、その欄の鉢植えを置き、

「智香にこんないい花を買ってもらったよ。

大事に育てなきゃね。

花が散っても来年も咲くように手入れするね。」

と亡くなった父に語り掛けながら、

無邪気に喜ぶ母の姿を観ることができました。

母が喜ぶ顔が観られることは娘として何よりも幸せな瞬間です。

父が亡くなって、元気がないことが多い、今の母には特にです。

 

私こそ、喜びを与えられる機会をありがとう!

そして、無邪気に喜んでくれてありがとう!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

与えたければ、受け取ることも大事。

10年位前の私は、自己卑下が強く、

心身ともにいっぱいいっぱい(キャパオーバー)で、

実際に体調も良くなかったため、

子育ても、仕事も、家事も、

やらなきゃいけないからやってるというスタンスでした。

 

メンターと出会い、

セルフマネジメントの重要性に気付き、

それに意識を向け始めるようになって約9年が経ちました。

最初は、疲弊しきった自分を癒し、

本来の自分を取り戻すことに精一杯でしたが、

自分の心身に余裕が出来てくるよになってきてからは、

このゆとりを、誰かのためにも使いたいという気持ちが、

次第に強くなり、その想いは今もなお増え続けています。

そこで、自分に投げかけていた質問が、

どうしたら与えられるか?

どうしたら与える機会を増やせるか?

といった、与えることにフォーカスした質問ばかりでした。

しかし、受け取ることも大事なんだな、

むしろ、先に受け取ることの方が大事なのかもしれない。

とここ最近想うようになりました。

そのきっかけが、先日から、何度もこちらのブログに記載している、

足の骨折治療です。

 

私は今、松葉杖生活なので、

今までできていたことが出来なかったり、

出来たとしても、5倍くらい時間がかかることもあります。

そんな中、周囲の人の支援を受ける機会がとってもあります。

最初は、申し訳ない気がしていましたが、

してもらったことに対して、「ありがとう」と伝えると、

相手の方は嬉しそうな顔をしてくださるので、

「困っている人に何かしてあげられてうれしい!」

という気持ちを、相手に与えているんだなということに気付きました。

そして、

与えたものが返ってくる「因果応報」という言葉にあるように、

きっと私も、「困っている人に何かしてあげられてうれしい!」

と想えるような機会が沢山返ってくるに違いないという考えに至ったのです。

 

こんな出来事がありました。

先日、30年来、お世話になっている方から、

「足の具合どう?」と連絡がありました。

会話の成り行きで、何の気なしに、

「庭の草取りが出来なくって・・・」と漏らしてしまいました。

するとその方、

「私が行って草取りしてあげる!」と言って、

今日実際に来て、きれいに草取りをし、

除草剤まで散布して行ってくださいました。

取った草も、持ち帰って処分してくださるとのことでした。

時間にして2時間以上です。

移動の時間も入れれば3時間以上です。

もう、ありがたくて、ありがたくて、

何度ありがとうと言っても足りないくらい、

感謝の気持ちがあふれ出てきました。

 

最初「草取りしてあげる」というお申し出があったとき、

さすがに申し訳ない気持ちの方が勝ってしまって、

何度かお断りしました。

しかし、その方があまりにも熱心におっしゃってくださるので、

受け取ろうという気持ちになりました。

この方は、

私の役に立ちたい!とここまでストレートにおっしゃってくださっているのに、

私が受け取らなければ、その気持ちを無にしてしまうことになる。と・・・

 

こんなに、大きくて、純粋な気持ちを受け取ったのだから、

きっと私にも、これから先、与えるチャンスが巡ってくると信じています。

 

Kさん。本当に本当にありがとうございました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

迷ったときのヒントをキャッチする

皆さんは、何かに迷ったとき、

どのように、決断されていますか?

そもそも、どんなことに迷いますか?

 

自分の本心か?

自分の気持ちを胡麻化していないか?

正当な理由をつけて、恐れから逃げているのではないか?

利己的ではないか?

諦めていいのか?

一旦、断ってはみたものの、

悔しい気持ちもあれば、ほっと胸をなでおろしている自分もいる。

やっぱり、断るのやめようかな。とまた迷う。

 

考えすぎている、

意識がそのことばかりに向いている。

ということに気が付き、

自分の好きなことをしたり、ちょっと寝たりして、

気持ちを落ち着かせることができました。

 

そうしているうちに、

迷っている事柄とは、直接関係のない2人の方から、

連続してLINEが入りました。

別に、迷っていることに対する相談をしたわけではなく、

2人とのたわいもない会話の中で、

迷いの答えが導き出されていきました。

 

それは、

「諦めることも配慮」

だという考えです。

 

私は、

諦めたらチャンスを下さった相手の方に申し訳ないと

勝手に思い込んでいました。

相手の方が、

「別にどちらでもいいですよ」と

おっしゃってくださっているのにもかかわらずです。

それだけ、そのチャンスを掴みたいという想いが強かったのです。

しかし、色々な負の状況が重なり、

そのチャンスを得るためには、リスクの度合いが高くなりました。

且つ、相手の方にもそのリスクを背負わせる可能性も高くなりました。

それは、私の本意ではありません。

だから、お話を断ったとき、

諦めることが悔しい気持ちもあれば、

相手の方にリスクを背負わせなくて良くなったとに、

ほっと胸をなでおろしている自分もいたのです。

 

頭の中が、整理できないと気付いた時、

一旦、別のことに意識を向け、リラックスすることで、

正解のヒントをキャッチする感度が増し、

自分の内側から自然と答えを導き出せる状態になる、

可能性を高めたのではないか?

というのがこれまで得た知識や学びから分析した私の見解です。

 

迷ったとき、外側に答えを求めるのではなく、

外側に求めるのは自分の内側から答えを導き出すためのヒントで、

ヒントを得るための方法には、

一旦思考することから離れ、リラックスして、

心身の状態を整える方法もあるということを実感できる経験でした。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

人々の優しさに感謝

足首の骨折治療生活も1か月以上が経ちました。

1か月を振り返って想うことの1つに、

買い物などに出かけ、たまたま出会った方々が、

本当にけが人に優しいことです。

 

していただいたことを、想い出しただけで、

今、涙が出ます。

 

例えば、スーパーのレジの方。
「買い物袋持っていらっしゃれば、
こちらの方でお入れしますよ。」
と声をかけて下さったり。

例えば、コンビニの店員さん。
松葉杖でよろよろしていたら、
「車までお荷物、運びます!」
と言って、手をかして下さったり。

例えば、カフェの店員さん。
会計を済ませ店を出る時、ドアを開けるために、
わざわざ出入り口まで足を運んでくださったり。
(高い割合でやってくださるお店が多いです。)

例えば、スーパーの買い物客の方。
私が手の届かない商品を買おうかどうしようか?
悩んでいるのをさっしてくださったのでしょう。
「なにかお取りしましょうか?」
と声をかけてく出さったり。

例えば、ショッピングモールですれ違った方。
「骨折したの?自分もやったことあるから大変なのわかるよ。
頑張ってね!」
と励ましてくださったり。

例えば、某飲食店の方。
「お会計、お席でもいいですよ。」
と言って、席とレジを行ったり来たりして下さったり。

例えば、たまたま通りがかった方。
私が、松葉杖を片方倒してしまったのを見て、
速攻で駆け寄って、拾って渡してくださったり。

思い返せば、してもらったことは、
他にもたくさん出てきます。

 

皆様の優しさに触れ、自分の気持ちが、

「心細い」から「大丈夫」にシフトしてくのを感じました。

日本に生まれて本当に良かったな。って想います。
(ほかの国のこともあまりよく知らないのに、
こう言うのも変かもしれませんが・・・)

心より、感謝いたします!

 

10年前の私でしたら、

人との関りを最小限にとどめたい人だったので、

こういう経験、こういう想いをすることも、

最小限だったのかもしれません。

自分の人生に拗ねてたから仕方ないですね(^_^;)

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

  • Category:感謝
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学びと実践の成果

脚を骨折して1週間くらい経ったときのお話です。

精神衛生上、家にこもってばかりいるのはよろしくない。

ということが身に染みてわかったので、気分転換も兼ね、

スーパーへ買い物に行きました。

松葉づえ生活になって間もない私にとっては、

買い物に行くのにも、勇気と決断がいります。

2次的な怪我をしないように、

慎重に、慎重に、行動しました。

 

事前に貸し出し用車いすがあることを確認して訪れたスーパー。

入口に2台、車いすが置かれていました。

しかし、オーマイガー!

車いすは、折りたたんで、壁側に向いて置かれていたのです。

松葉杖をついていて、しかも、けがをしている側の足を地面についてはいけない状況の私。

松葉杖にも不慣れな時でしたので、

一人で折りたたまれた車いすを広げ、向きを変えて座るというのは、非常に困難でした。

それこそ、転倒し2次的な怪我を負いかねません。

 

スーパーの中には、店員さんが品出ししたりしている姿が見えます。

しかし、大型店のため、入り口からその店員さんに声をかけるには、

かなり大きな声で叫ばなければなりません。

ほかの買い物客もいらっしゃるし、

それはちょっと、いい方法ではないな~と想いました。

サービスカウンターも離れているので、

松葉杖を使うことに慣れていない私にとって、

そこまで松葉づえで行くのもリスクが大きいと想いました。

 

結局、買い物を済ませ、店を出ようとしていた、

見ず知らずの方に声をかけ、

車いすを広げ、向きを変えてもらい、

無事、車いすに座ることができました。

とっても親切な方で、広いところまで、

車いすを押して行ってもくださいました。

本当にありがたかったです(*- -)(*_ _)ペコリ

 

恐らく、松葉杖の人が1人で買いもに来ない想定、

介助人が同行している想定なのでしょう。

 

もし、あなたが私と同じような状況だったらどうされますか?

 

 

人にものを頼めない昔の私であれば、

見ず知らずの方に声をかけることはできなかったと想います。

そもそも、人に迷惑をかけるのが嫌で、
(迷惑かどうかを決めるのは相手の方なのに(^_^;))

1人で買い物に行くこともしなかったでしょう。

 

そう考えると、9年前の私より、格段に生きやすくなっています(^^♪

「人に迷惑をかけちゃいけない。」という思い込みを手放したり、

「無条件で自分の存在価値を認める」という努力を

重ねてきた成果を実感しています。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

「学ぶと自分が変わる」という言葉に涙した理由

今、いろんな本を読んでいます。

自分の中で読み方を決めて読んでいたのですが、

だんだんつまらなくなってきて、

興味があって購入し、山積みされた本の中から、

ピンとくるもの、

なんか今日はこれが読みたい!というものを数冊手に取り、

端から順番に読んだり、

気になったところだけよんだり、

いわゆる乱読をしています。

こういう読み方もおもしろいです。

かつ、意外に今必要な情報、使えそうな知識が入ってくるのが不思議です。

 

先日、ふと手に取った本。

ダリウス・フォルー著 桜田直美訳 サンマーク出版発行の

「まっすぐ考える」

をパラパラっとめくっていて、たまたま目に留まった文章に、

最近、学ぶこと(特に本を読むこと)が

面白い!わくわくする!とこれまで以上に強く感じる自分自身に、

いったい何が起こっているのか?を納得できる理由が、

解説された文章があったので、ご紹介したいと想います。

 

『脳が入手する情報は、直接的に何かの役に立つ必要はない。ただ自分が興味を持った知識を集めていけば、脳内のネットワークに多様な情報が蓄積されていく。そして後になってから、それらの点と点をつなげればいい。実際、スティーブ・ジョブズもこういっている。「前を向きながら点と点をつなげることはできない。それができるのは後を振り返ったときだ。だから、今の時点では、いつかこれらの点がつながると信じるしかない」』

『』内、ダリウス・フォルー著 桜田直美訳 サンマーク出版発行「まっすぐ考える」より

 

私は、コーチングを学ぶようになってから、

年々、読書の量が自然と増えていきました。

本を読んで知識を得ることが楽しくなっていったからです。

その理由がまさに、上記の文章そのものだったので、

今の自分に強いインパクトとして入ってきたのだと想います。

 

具体的にはこんな感じです。

本A他の考え方:学校教育には「正解」があるが、社会生活において絶対的な「正解」はほとんどない。

本B他の考え方:二極化思考は上手くいかない人の考え方。(白黒はっきりさせる。合ってるか?間違っているか?など)

本C他の考え方:根拠のない非合理的な思い込みは子供のころ植え付けられたものが多い。

本D他の考え方:人は現状維持を好み、変化を恐れる生き物。

本E他の考え方:人は気付かないと変えられないし、能動的に変えようとしないと変わらない。

本F他の考え方:思考の癖を改善するには、6か月は要する。

本G他の考え方:始めるのに遅すぎるということはない。

上記は、バラバラに集めた知識です。

 

私は、メンターと出会いマインでセットコーチングを学ぶ前までは、

白黒はっきりさせたい!タイプの人間でした。

その自覚はあったものの、それが二極化思考というもので、

子供のころ根拠もなく刷り込まれたものだということや、

上手くいかない人の考え方だということを知らなかったので、

そんな自分の考え方を変える気もありませんでした。

むしろ、「私は白黒はっきりしていないと嫌なタイプの人だから」と、

親しい人には宣言していたくらいでした(笑)

でも、「二極化思考」がもたらす弊害の具体例を、

メンターから教えて頂いたり、意識させて頂いたり、

実際に自分でもその弊害を自覚し納得したことにより、

「この考え方の癖を改善しよう!」という気持ちになったのでした。

実はまだ、この二極化思考でモノごとを考えて、

負のループに陥ることがあります。

(以前よりはだいぶ良くなりましたが・・・)

でも、思考癖を改善するのには時間がかかるということを学んだので、

気長に改善していこう!という感じで、

そこまで、できない自分を責めなくもなりました。

「二極化思考」はほんの一例で、

知ってさえいれば、生きづらさを改善できたのに!

ということが、本当にたくさんあり、(特に真の自己肯定感の重要性)

これまで遠回りしてきた30年間はいったい何だったのだろう!?

と、正直、失った時間の重さに押しつぶされそうになったこともありましたが、

「始めるのに遅すぎるということはない。」

ということも、これはまた別の経験で、腑に落とすことができたので、

その後悔という重圧を手放し、今は「残りの人生をどう生きるか?」

に意識を向けて生きていけるようになり、

充実感で一日を終えることができる日がほとんどです。

 

だから、昨日んだ本、齋藤孝著 PHP研究所発行

仕事に閊えるデカルト思考
「武器としての哲学」が身につく

に書かれていた、

「学ぶと、自分が変わる」

という、たった短いこれだけの言葉に触れただけで、

本当にそうだよな~と、しみじみし、

感動で涙がこぼれ落ちたのだと想います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子