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自己肯定感ブログ

受け身からの脱却を目指す

ありがたいことに、

メンターとはもう、9年お付き合いさせていただいております。

それが、「幸運である」ということは、

出会った当初から、感じてはおりましたが、

お付き合いの年数を重ねれば重ねるほど、

私が、メンターと接点が持てること、

直接学ばせていただけることが

どれだけ幸運なのかという度合いが増していきます。

メンターと出会ったとき、直感で、

「この人信じれる」と想ったことを1ラッキー(1星)とするならば、

現在は、10000ラッキー(10000スター)を手に入れた感覚です。

(もっとかもしれません。正直なところ計り知れません。)

 

その気持ちが、最近また、加速的にどんどん増して行っています。

その理由は、読書です。

今、足を怪我しているため、

自宅療養を主としており、読書できる時間が多いです。

そこで、ビジネス書や自己啓発系の本を読みあさっています。

良書といわれるロングセラーのものから、ここ数年話題のもの、

今年出版されたばかりのもの、

一見、ビジネスとは関係ないような分野からの視点で書かれたもの、

など、種類は様々です。

 

それらの本を読めば読むほど、

「これ、昔からメンターが大事なことだよ!っておっしゃってたことだ!」

「これ、メンターがよく使う言葉(ポジティブな口癖)だ!」

「これ、メンターが大切にしていらっしゃる在り方だ!」

「これ、メンターが社会情勢の現状と今後について似たようなことおっしゃってたな!」

「これ、メンターが習慣的にやっていらっしゃることだ!」

と、言うことが、大抵どの本にも出てきて、(もちろん全てとは言いませんが)

いろんなことを網羅されていらっしゃる方なんだということを、

感覚ではなく、実際に上手く行っている人の知見から理解しました。

 

私は、メンターの足元にも及びません。

「類は友を呼ぶ」ということわざがあるように、

あまりにも次元がかけ離れた人とは、本来、

接点を持てないことが多いと言われる中で、

私がなぜ、メンターと出会えたのか?、

メンターとクライアントという関係ではあるものの、

なぜ、9年もお付き合いさせていただいていたのか?

目には見えない特別なご縁とメンターの人に対する情の深さが、

要因であると私は考えます。

 

いづれにしてもそれは受け身です。

特別なご縁、メンターの情が切れてしまえば、切れてしまう関係です。

もっと、自分を磨いて、

山本となら一緒に仕事がしたい。

山本とならプライベートも楽しめる。

そんな信頼を、メンターから勝ち得たいと想います。

それが、特別なご縁に対する感謝であり、

大切な人を大切にするあり方であると、私は想います。

そのために、今の私に出来ることから、積み重ねていきます!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

素直じゃない自分に気付く

理由もわからず、

モヤモヤする、

違和感を感じる、

イライラする

そんなことを感じることってありませんか?

 

仕事、家事、育児など、それぞれの役割に追われる中、

理由もわからずなんとなく湧き上がるその感情に対し、

1つ1つ理由を考え、対応するということは、

容易ではないと想われる方も多いかもしれません。

 

実際私は、育児と仕事と家事に追われているとき、

自分のことをないがしろにし、自分のそういった感覚にも無関心で、

そうしているうちに、

自分の感情も、気持ちも、思考も、心も、

内側でぐちゃぐちゃになっていたな~と、

今、当時の自分を振り返るとわかります。

そんな私でしたが、

マインドセットコーチングと出会い、

学んだことを実践していく中で、

自分の感情に意識を向ける習慣が少しずつですがついてきました。

 

今日それを実感できたのが、

「今心がなんかモヤっとした!なんか違うって感じた。」

という、微妙な違和感から目を背けず、

わりと瞬時に、(おそらく2~3分)

自身の言動を振り返り、

「気持ちに素直じゃない言動をしたから沸き上がったモヤモヤだ!」

ということを自覚し、

「ごめんほんとの気持ち隠してた~」

「言いづらいこと言ってませんでした~」

という言葉を発し、素直に謝罪したり、受け取ったりすることができたのです。

 

昔の私でしたら、

微妙な違和感をキャッチする事がまずできなかったですし、

キャッチできたとしても向き合わなかったでしょうし、

向き合ったとしてもその理由がわかるまでに、

何時間、何日単位で時間を要していました。

 

いつも、自分の気持ちに敏感で、瞬時に対応(自己受容)出来るか?

と言ったらそうではありませんが、

一日0回が数回できるようになり、

答えが出るまでに何時間もかかっていたことが、数分に短縮されるケースもあります。

 

継続は力なりですね。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

魂のつながり

スピリチュアルなことにご興味がない方、

あまり、スピリチュアルなことが好きでない方

今日の、ブログはスルーしていただいても結構です。

 

私は、本来、スピリチュアルなことが好きだったのに、

目に見えるもの、科学的根拠のあるもの、

そういったものしか信じない。と言っている時期がありました。

そう言っているわりには、

江原啓之さんと美輪明宏さんがゲストを招いて、

過去世などを観るTV番組を毎週見ているという、

矛盾がありました。素直じゃない私の過去です(^_^;)

 

あなたは、魂のつながりを信じますか?

そもそも、魂って何?

と質問されても、

言葉で表現することが私には困難です。

 

ただ、あえて、

自分が今、魂のつながりを感じているなと想う、

その感覚を言葉にするならば、

それが、

人であっても、

場所であっても、

動植物であっても、

音楽であっても、

芸術作品であっても、

本であっても、

そこから得られる、

メッセージ性のようなものが心にしみわたる感じがして、

何か大きなものに守られている、応援されている気がするのです。

その「何か大きなもの」が何なのかよくわかりませんが、

最近は、

その何か大きなものの中に、

亡くなった父を感じる時もあります。

 

これは私の特性だと想うのですが、

魂のつながりを感じているときは、
(あくまでも自分がそうだと感じているだけです。)

理由もなく、涙が出ます。

心が洗われていく感覚です。

 

この感覚を大事にするようになったら、

よろしくないできごとに対しても、

メッセージ性を感じるようになりました。

短絡的に、アンラッキー!だけで済まさなくなりました。

正直、よろしくないできごとが起きた瞬間は、

この出来事にどんなメッセージが隠されているのか、

すぐに答えが出ないことがほとんどです。

だから、答えが出るまでは、

辛いこともあります。

(わくわくしながら待っていられるときもあります。)

でも、その出来事のメッセージに気付いた時、

上記に記載したような感覚となり、涙が出て、

教えてくれてありがとうって気になるのです。

 

魂は皆繋がっている。

媒体を通して、なにか大きなものが教えてくれている。

シンプルにそれだけ。

OneSoul

自分の魂がクリアであればあるほど、

その感度は上がる。私はそう信じています。

 

なぜなら、私のリスペクトする方がそうであるから・・・。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

数値化の鬼を読んで感じたこと

安藤広大著 ダイヤモンド社発行

数値化の鬼
「仕事ができる人」に共通するたった1つの思考法

を今読んでいるのですが、

本の冒頭「はじめに」に書かれているポイントをかいつまむと、

『自分を数字でマネジメントできない人が、部下やチームをマネジメントできるとは到底思えない。
数字にむき合わず、成長できる人は誰一人いない。この本は、他人に対してではなく、
自分に対する数値化の鬼になること説明するための本。』

というような内容が書かれていました。

自分に優しく、自分を褒めよう!

そういった類の本も多い中、

厳しい先生の授業の前にちょっと緊張して、

背筋がシャキッと伸びる感じが久しぶりに蘇りました。

 

この本は、

なぜ数値化が必要なのか?

何をどのように数値をするのか?

が具体的に書かれていました。

 

これはあくまでも、私の捉え方なのですが、

数値化は要するに、

「配慮」だなと感じました。

それは、自分に対しても、相手に対してもです。

 

よく、私がよく使う表現の中に、

上手く行かなかったことに対して、

「一生懸命頑張ります」

という言葉があります。

せっかく、反省して、一生懸命頑張る!って、

気になっているのに、それを掘り下げて考えないから、

何をどれくらい、どう頑張るか?が不明瞭なままで、

結局気持ちだけで行動に移せません。

移せたとしても習慣化までには至りません。

自分の「頑張ろう!」って思った気持ちへの配慮不足です。

 

他者に対しても、同じです。

例えば、上司に対して、

「一生懸命頑張ります」と言ったとします。

上司は、この言葉を聞いて安心するでしょうか?

数値を入れて、

「明日の10時までに、タスク①②はできます。」

「タスク③は3時間かかることが見込まれるので、

その日の15時まで待っていただくことは可能でしょうかは?」

「そのために一生懸命頑張ります。」

の方が上司はより安心するでしょうし、

場合によっては仕事の振り分け方を変えるなど、

上司の仕事もやりやすいでしょう。

 

初歩的なことではありますが、

意識していないと、ついつい、

曖昧な表現の仕方をしているものなのだなということを、

気付かせてもらえる本でした。

 

マイメンターは「配慮」ということをとても、

大事にしていらっしゃいます。

そんな、メンターの在り方にも通じるものを感じる本でもあり、

 

自分への厳しさというのは自分を責めることではなく、

他者への優しさにつながる厳しさなんだなとも感じる本でもありました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

思いがけず「影響」

母は、45年ほど前、車の免許を取りました。

きっかけは、「父に勧められたから」と母は言っておりました。

なぜ亡き父が、母の免許取得を進めたのか?

今となってはその真意はわかりませんが、

先見という観点から勧めたのではないかと私は推測します。

 

当時、東京から長野に引っ越してきたばかりの母の移動手段は、

自転車、原付バイクが主でした。

遠くに出かけたいときは、父の運転です。

便利な東京から、

公共交通機関の利用が不便な場所に引っ越してきて、

不便さは感じていたものの、その生活にも慣れてきたところでしたし、

なにより、周囲(隣り組の方々)を見渡しても、

当時、主婦で車を運転している人はいなかったので、

自分が車を運転することになるとは想像していなかったそうです。

 

THE昭和の母は、父の言うことだからと、

素直に従ったのでしょう。

40歳で普通自動車の運転免許を取得することができました。

 

それを聞いた、母よりも少し若い同じ常会の主婦の方が、

「へ~、車の免許取れるんだ~」と、気付き、

(その方も、自分が車の運転をすることを想像していなかったようです。)

しばらくして、

「私も車の免許とったよ~」と母に報告してくれたのだそうです。

 

それから、

同じ常会の中で「主婦の運転免許取得ブーム」(←勝手に私がそう捉えている(笑))が起き、

ご近所の主婦の多くが、運転免許を持つことになったとのことでした。

そのほとんどが母よりも年上の方だったようです。

 

もし、私が40歳の時に車の免許を取ることになったら、

若い時よりも、かなり勇気が必要だったと想います。

ましてや、自分の周囲に同じ経験を持つ人がいなかったらなおさらです。

 

母の挑戦が、周囲の主婦の方へ少なからず影響したのは確かです。

意図せず、誰かに影響を与えるこがある。

ということを母の昔話から知ることができました。

 

影響を与えたい、与えなきゃ。

そう、肩に力が入っていると、

かえって相手には響かないのかもしれません。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

自分の直感を信じる

なんか気持ちいい(⇔不快)

なんか惹かれる(⇔距離を置きたい)

なんかこの言葉しっくりくる(⇔違和感ある)

なんかこの人と居るとホッとする(⇔疲れる)

なんかわくわくする

なんかあの人にLINEしたくなる

なんかこのままじゃいけないきがする

なんか未来が描けない

なんかこの人とは将来一緒に仕事している気がする

などなど

 

あなたは、理由を説明して?と言われても簡単に説明できない、

何故かわからないけど、ふとこんな考えが浮かんだ、

なんてことはありませんか?

要するにそれは直感と言われるものです。

 

メンターと出会った最初のころ、

直感と言われる

「なぜかわからないけど・・・」

「ふと・・・」

これらは、自分の人生の羅針盤だから、

その直感に従うことの方がスムーズに、

自分の人生を自分らしく生きることができる。

と教えて頂き、

そのスタンスを出来るだけ守るようにしてきました。

しかし、自分の直感に気付き、それを基に行動するには、

自分の心身の状態を良くするなどのコツがあります。

エゴや欲、非合理的ビリーフ、不安や恐れ、罪悪感、自己否定感など、

手放さなければならないものもあります。

直感だ!と想って進んでいたら実は違ったということもあります。

直感(自分の本心)だけで生きられたらそれは理想なのかもしれませんが、

収入、家族、のことなどもあるのでバランスも必要です。

 

「直感」の感度や、「直感」の使い方が未熟な私は、

直感とつながり、それに従って生きる術を学ぶことも、

8年間、プロのメンターをメンターに就けてきた大きな理由の一つです。

 

しかし、8年も学んできたんだし、もうそろそろ、

自分の直感をもっと信じてみようと想います。

そのために、昨日の投稿にも書きましたが、

「余白」の質を上げ、心身共に余裕を持ち、

直感に繋がり、いったん自分できちんと内省して、

焦らず決断し、でも決断したらスピーディーに行動に移す、

ということを心掛け、自走できるようにしたい、

いまそういう時期に来ている。

それこそ、なぜかわからないけどそんな気がします。

しかもその圧が強いです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

「余白」の捉え方が反転する

今、山崎晴太郎著 日経BP発行

余白思考
アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術

という本を読んでいます。

 

この本を読んで、

「余白」に対する捉え方が180度変わり、

自分の中にあった非合理的ビリーフ(思い込み)と、

その非合理的ビリーフがあることによって抱く、

ネガティブな感情に気付くことができました。

 

まず、余白の捉え方です。

著者は、余白の「余」は、

余分の余ではなく、余裕の余という捉え方をしていらっしゃいます。

具体的には、

『「余白」は、「何かを書いたあとに残ってしまったスペース」ではなく、

「書かれている何かを引き立たせるために、あえて余らせているスペース」

「あらゆるものが入る可能性にあふれた空間」

「本当に大事なものを守るために、あえて余らせている時間や力」。』

とおっしゃられています。
(『』内 山崎晴太郎著 日経BP発行 余白思考より抜粋)

 

なるほど~。と想いました。

今まで私は、「余白」は残った部分、余った部分という捉え方でした。

そして、残すなんてもったいないとか、

余った部分は有効に使わなきゃいけない、埋めなきゃいけない。

というような思考が自分の中で繰り広げられ、

残ったり、余ったりすると、不安や焦燥感を抱くこともありました。

 

そうなるのはどうしてか?というと、

その答えも本に書いてありました。

(『』内 山崎晴太郎著 日経BP発行 余白思考より抜粋)

『人は本能的に、空いているスペースがあると埋めようとします。

意味のある余白にするよりも、空虚が怖くて、どうにかして埋めたがる。

余白の在り方に思いをはせる前に、とにかく詰め込んで満足してしまう。』

とのことです。

 

とにかく詰め込んで満足することも問題視した方がよいですが、

私の場合、空虚が怖くて、埋めよう!としたとき、

埋めよう!としたのに、自分の思い通りに埋められなかったりすると、

満足するどころか、

うまく埋められなかったことに対して、

さらに負の感情が沸き上がるという、

ネガティブ感情のループにはまることも多々ありました。

 

しかし、余白の余は余裕を意味すると捉え、

「本当に大事なものを守るために、あえて余らせている時間や力」

と考えると、余白をつくることに視点が移ります。

さらに、その余白の質を高めることで、

引き立たせたいもの、大事にしたいものを、

より尊重できるのでは?ということが推測できます。

実際に著書の中でも、

『いいアーティスト、デザイナー、経営者は、基本的に、余白のつくり方がうまく、

余白のつくり方が上手い人は、人生を楽しむのもうまい。』

と書かれていました。

 

ふと、マイメンターのことが思い浮びました。

メンターは、経営者であり、お仕事がお忙しくても、

その間に、

■観光に行かれたり

■菜園をやられたり、

■お料理教室に行かれたり

■散歩に行かれたり、

など、していらっしゃいます。

(上記■はメンターのSNSに投稿されていた内容です)

著者山崎氏は『余白は意図せずにできるものではありません。』とその著書に書かれていますが、

マイメンターはまさに、

意図的に余白をつくられていたこと、

そしてその余白のつくり方を、

SNS視聴者に見せてくれていたんだな~

ということに改めて気付かされました。

ご自分も相手も大事にするスタンスであるから、

メンターはうまくいっているのだな~と改めてリスペクトするのでありました。

 

どうしたら質の高い余白がつくれるのか?

 

以前メンターからアドバイスいただいたことや、

(余白という言葉ではありませんが、緩急の付け方や、
自分で自分を満たす方法という観点からいただいているアドバイスのこと)

上記の本をもう少し読みこんで、改めて考えてみたいと想います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

コスパ・タイパ時代に必要なこと

失敗は、学びに変えられますし、

その痛みが大きければ大きいほど、

学びも大きいですし、

共感力がアップするなどのメリットもあるので、

失敗を恐れることはないということが、

様々な失敗を繰り返したからこそ、心底想うのであります。

基本的に、失敗に良い悪いは無いというのが、

私の考えです。

(但し、取り返しがつかない失敗は除く。)

 

ですが、今は時代が違います。

テクノロジーの進歩により、

「加速の時代」とも言われている現代において、

失敗してつまづいたり、止まったりしている間に、

時代の方がどんどんどんどん進んでしまうのです。

それはそれで、経験だからいいとも想います。

でも、失敗しなくて済むことは失敗せず、

その分のエネルギーを、

自分のパフォーマンス向上に繋げていくことの方が、

コスパ、タイパが良いと想いませんか?

 

そこで、活用するのが賢明だと想うのが先人たちのお智恵です。

せっかく先人たちが、

こんな失敗をしないためにこういうところに気を付けてね!とか

こういう理由がこんな失敗を招くんだよ!とか、

反対に、

うまく行っている人はこういう考え方をしているよ!

人望が厚い人はこういう在り方だよ!

という情報を発信してくださっているのに、

それを活用しないのはもったいない!

 

私は、どちらかというと、実際に経験して、やっと気づくタイプです。

でも、昔と違うのは、そのベースにメンターや書籍などから得た学びがあるため、

メンターがおっしゃっていたこと、書籍に書かれていたことは

こういうことだったのか!と

経験が早く腑に落ちるようになり、

失敗が学びに変わるのに時間がかからなくなりました。

 

いずれにしても、先人の智恵を学ぶこと、学びにする習慣は、

コスパ・タイパ時代を、

コスパ・タイパ重視で生きたい人に必要な要素だと考えます。

遠回りのように感じるかもしれませんが、

ここ9年学び続けて来て、実感することでもあります。

 

最近は、体系化され読みやすい、

自己啓発本、ビジネス書、専門書などが

とっても増えていますし、

書籍以外から得られる情報も沢山あります。
(情報が溢れすぎていて取捨選択することも必要ですが・・・)

一日15分でもその積み重ねは大きいという実感も持てています。

 

私は、学校を卒業したら、勉強から解放される!と想って、

プライベートでは遊んでばかりいましたが、

むしろ、学校を卒業した後も、

学校では教えてくれなかったことを学ぶことが、

大切だったんだな~と気が付いたのが数年前です。

20代の時、せめて、30代の時に気付いていたかったな~。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

 

甘え方上手も自律の要素

今、負傷した足の治療中なのですが、

おかげさまで、ギブスが取れ、

物理的にも精神的にも、開放感に満たされております。

 

ただ、そうは言っても、

すぐに元通りに歩けるというものではありません。

外出するには、まだまだ松葉杖が必要で、

ちょっとそこまで外出するだけでも、

想像以上に、体力を消耗します。

従って、エネルギーが枯渇気味で、

元気な時は対応できていたことが、

対応できないことが今は多い状態です。

 

これまでの私であれば(卒婚してからは特に)

「一人でなんでもしなきゃいけない。できなきゃいけない。」

と想う傾向が強く、

一人でできることは、一人で完結するようにしていました。

例えば、本当は、スーパーに買い物に行くにも、

誰かに付き添ってもらって行きたかったです。

でも、私は「一人なんだから!頼る人がいないんだから!」

と自分に言い聞かせ、勇気を振り絞って一人で買い物に行き、

見ず知らずの方に声をかけて、

車いすに乗るのを手伝ってもらったり、

手の届かない商品をかごに入れてもらったりしながら、

足が不自由な生活を送っていました。

それはそれで、

見ず知らずの方に頼るということもこれまで以上に出来るようになりましたし、

その方たちのやさしさ温かさに触れるという貴重な体験ができ、

嬉しさと感謝の気持ちを味合わせて頂きました。

私も、元気になり、反対の立場に遭遇したら、

手助けしたいという意識が芽生えたこともよかったです。

 

しかし、「頼れる人がいない。」というのは、私の思い込みで、

「頼ってくれればいいのに」と想ってくれていた人がいらっしゃったり、

「疲れが酷いから、送迎してほしい。」と頼んだら、

快く引き受けて下さる方がいらっしゃるという経験もさせていただきました。

私は、自分の強がりのために、

「頼れる人がいない。」と思い込もうとしていたのかもしれません。

その方たちにも、その方たちの生活があるので、

それを侵害するほど頼りたくないという気持ちもありますが、

よくよく考えてみると、

私に何かを依頼されて、それを引き受けるキャパが有るか無いかは、

相手の方が判断することであります。

要するに私は、

「断られたらどうしよう。」

「断られないにしても、相手に迷惑なやつだと想われたらどうしよう。」

という、気持ちもあったのだなということに、

この文章を書きながら気付きました(^_^;)

 

断る、断らないは、相手の問題ですね!

 

自分で出来ることを無理に頼る必要はありませんが、

しんどい時は、しんどいと、SOSを出せる人(医師や公共機関も含まれる)を、

何人か持っておくのも、生きていくには必要で(特に一人暮らしの人)、

それも自律ということの1つの要素なのではないのかなと

感じたのでありました。

 

頼んだことを必ずやって!と強要したり、

自分は頼むのに、相手の頼みは聞かない!は、

無しというのがもちろん前提です。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

「嫌い」を受け入れることのすっきり感

「いい人」星人だった私は、

(今も「いい人」星人の要素はありますが、
「いい人」を脱ぎ捨てた提にしたいので、
敢えて、過去形にしています。)

人を嫌いになっちゃいけない、

という言う思い込みが強く、

心のどこかで、不信感、不快感を感じる相手でも、

無理矢理好きになろうという傾向がありました。

最近は、だいぶ、その思い込みが弱まったので、

「この人あんま好きじゃない」「この人嫌い」

というのを、敢えて表現しないまでも、
(家族や信頼できる人には言うこともありますが・・・)

自分の中では受容できるようになっていました。

 

しかし、今、新たに、自分でも意外な人物のことが、

「嫌い!!!」というのを、自覚し、
(実はうすうす感づいていたのを気付かないふりをしていた気もします。)

「私、〇〇のこと嫌いだったんだ~」という気持ちを認め、

「よく、認められたね、偉かったね。」という気持ちにもなり、

とっても心がほっとしているというか、すっきりしているというか、

穏やかな気持ちになっているのです。

 

大好きでいたい人のことを、

実は嫌いだった(いつの間にか嫌いになっていた)と認めることは、

私にとってすごく勇気がいりましたが、

すっきり!という感情が、全てを物語っていると想います。

 

そこには、憎しみという感情はなく、

嫌い!を嫌いなまま受け入れたからこその、

「嫌いを含めて好き」みたいな不思議な感覚すらあります。

 

この経験が誰かの何らかのヒントになりますように・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子