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自己肯定感ブログ

シン・自己肯定感オンラインプログラム最期のテーマのスライド完成

昨年9月にリリースし、多くの方々にご購入いただき、

動画配信を続けております、

「シン・自己肯定感オンラインプログラム」

 

自己肯定感を構成する3つの要素をテーマとして分け、

各テーマ1か月ごと3本の動画を配信してまいりました。

自身の実力不足などから、

動画制作が想い描いたように進まず、

当初12月で配信を終了する予定のものが、

現在もなお配信を続けており、

かつ、残り2本の動画配信が完了しておりません。

しかし、今日ようやく、

残り2本の動画に使う投影資料と、

そのスプリクトを完成させることができました。

 

動画を撮影することはだいぶ慣れてきましたので、

ここまで来たらゴールは目の前に観えてきました。

自分の作成したスライドや、動画を、

後から見返すことをしばしばやっているのですが、

わかってはいるけれども自分にはまだまだできていなこと、

わかっていたつもりでも気付けていなかったことなどがあり、

 

自分のこと棚にあげてよく言うわ~(^_^;)

と、冷や汗をかきながら観ていることも多いです。

 

明日は、本シリーズ最後の動画撮影をする予定です。

今日は、動画の背景に色を添える花を購入して帰ろうと想います。

撮影用の新しい服も新調しようかな♬

撮影準備も、撮影も楽しみの一つになっています✨

 

動画販売にご興味のある方、ぜひご連絡ください。

リリースのお手伝いをさせていただきます。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

職場に行く楽しみ

松本でスタートさせた職場に、

Kさんという21世紀生まれの女子がいらっしゃいます。

仕事に入る前、今日は誰と一緒なのかな?

と一緒に働くメンバーを確認した時、

”やったー!今日はKさんだ(^^♪”

と喜んでいる自分に気が付きました。

Kさんは期間限定で働いていらっしゃるので、

2月にはお別れしてしまいます。

短期ですし、立場上、

そこまで私に仕事を教える責務はないのに、

その仕事の目的やそのようなやり方をする理由などを添えて、

丁寧に仕事を教えてくださいます。

私が何か困ったときも、

的確な指示を出してくださったり、

自分で対応してくださったりして、

次に困らないような対処もしてくださいます。

時々、自分の方が年下のような錯覚に陥るくらいです(笑)

まだ、学生さんだという彼女の、

リーダーシップ力、柔軟性、コミュニケーション能力などの優秀さは、

どこからくるのでしょうか?

家庭環境、育った時代、これまでに出会った人、経験など、

様々な要因が考えられ、彼女に興味津々です。

彼女のことをいっぱい知りたいのですが、

私のことなので、聞き始めたら根掘り葉掘り聞き出してしまいそうになると想うので、

気をつけたいと想います。

 

そんな彼女も、プライベートの話をするときは、

「ね~、聞いてくださいよ~。」なんて言って、

今どきの女子みたいな話をしてくれるんですよ~。

そんな一面も、とっても素敵でかわいいです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

「自己肯定感ハラスメント」を読んで

先日、自身のブログ(1月16日投稿:自己肯定感という本来の言葉の意味)に、
「自己肯定感」という言葉をこのまま使い続けていいのか?
という迷いが生じているということを記載いたしました。
この迷いが生じたのは、
スポーツドクター辻秀一氏が書かれた、
「自己肯定感ハラスメント」(フォレスト出版)
という本を読み始めたのがきっかけでした。

自己肯定感オタクの私は、
自己肯定感というワードには敏感で、
特に、この本のタイトルのように、
自己肯定感に対する別な視点を得られそうなワードには、
惹かれる傾向があるようです。
昨年の2月26日に初版発行されたようですが、
その本の存在に気が付いたのは最近でした。
きっと、今が読むタイミングなのだと想います。

こちらの本を読み進めていくうちに、
著者と自身の間に共通点と相違点があることに気が付きました。
まず、共通点は大きく2つです。
1つ目は、
自己肯定感という本来の言葉の意味を知ることなしに、
自己肯定感を高めようとして、
かえって自己否定感を募らせるということ懸念している点。
2つ目は、
自分らしく自分を生きることが、幸せで豊かな人生を送るための重要な要素だという点。
相違点は、
自分らしく自分を生きるための土台は、
辻氏は「自己存在感」、私は「真の自己肯定感」だということです。
ただ恐らく、辻氏が推奨する「自己存在感」と私の推奨する「真の自己肯定感」は、
ほぼ等しいと言っていいと想います。
辻氏は、巷で、
「自分の外側にある条件や評価・常識・比較などによってつくりだされるものだ」
という解釈が浸透している「自己肯定感」は推奨せず、「自己存在感」を推奨しています。
私も「自己存在感」という言葉を使うかは別として、
もうすでに本来の意味でとらえられ居ないことが多い「自己肯定感」という言葉の、
本来の自己肯定感(真の自己肯定感)を説明するより、
別な言葉でお伝えした方が伝わりやすのではないか?

すみません、答えのない、つぶやきの投稿となってしまいました。

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

MindLabo代表 山本智香子

空いたところに入ってくる

メンターと出会った初期のころ、

バッファ(時間的なゆとりや余力)の必要性と重要性に

ついて教えていただきました。

従って、メンターと出会ってもう9年近くになるのですが、

何事も、バッファが大事ということは、

頭には入っていて、できているかは別として、

約9年、反省を重ねながら意識してきたことではあります。

 

私は、欲張って、あれもこれもやりたい!

と時間きっちきちに計画を立てるタイプだったのですが、

(と言いますか、今もその傾向性は強いです(^_^;))

今月は、長野での新しい生活を始めたばかりですし、

今後の仕事の組み方を模索する期間でもあると考えているので、

敢えて、きっちきちに仕事を入れないようにしていました。

正直、会社員時代より、かなり時間的に働いていないので、

とっても不安はあります。

そこで、

もうちょっと仕事、増やそうかな?と考えていた矢先、

仕事のオファーがあったのです。

現状、そのお仕事をお引き受けするバッファがあったため、

(仕事の内容も、これまで仕事で経験してきたことを活かせるもの。)

なんの迷いもなく、即、エントリーいたしました。

 

これまでも、

空けたら入ってくる

空いたところに入ってくる

という経験を、何度か体験しております。

先に手放す、先にスペースを空けておくというのは、

正直、不安なことも多いです。

しかし、今回のお仕事のオファーもそうだったのですが、

予想外のところから、

ポンと入ってくるチャンスを手に入れるためにも、

バファをより意識していく必要性と重要性を実感できた出来事でした。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

自己肯定感という本来の言葉の意味

今、自分の中で、迷いが生じています。

それは、「自己肯定感」という言葉をこのまま使い続けていいのか?

という迷いです。

私は、自己肯定感オタクですので、

その言葉自体も好きです。

そして、「自己肯定感」という言葉が、

世の中に浸透していることもうれしいです。

例えば、YouTubeで、

「自己肯定感」そのものをテーマにしたチャンネルもありますし、

そうでないチャンネルでも、対談や出演者の会話の中で、

ごく自然に「自己肯定感」という言葉が使われています。

日常の中でも、

たまたま、飲食店で隣の席に居合わせた友達同士のグループ、

サラリーマンなどの会話からもよく耳にしますし、

職場でも、(特に20~30代の若い世代の方の)

会話の中にネイティブに使われています。

 

しかし、その会話の内容や、言葉の使い方を聞いていると、

自己肯定感は高めなければならないもので、

(自己肯定感が低いのは良くないというジャッジがある)

その言葉のニュアンスからなのか、

自己を肯定することで高められると想っている傾向性が強いと感じるのです。

それにより、

自分を肯定できる要素ばかりに着目したり、

自分を肯定できる要素を無理に造ったりして、

自己肯定感を高めようとする傾向性も感じるのです。

その結果、自分を容易に肯定できない要素(ネガティブな要素)から、

目を背けることとなり、

目を背けられた(無視された)部分の自分も確かに自分の中に存在するのに、

その存在を否定していることになっている。

それに気付かないから、無視された部分の自分の自己否定感が

無意識に募り、自分が自分で無くなり、生きづらさを感じることに繋がる。

そういった図式が自身の中で想い描かれ、

自己肯定感という言葉の本来の意味が正しく伝わっていない傾向性が強い現在の日本の中で、

「自己肯定感」という言葉を使い続けると、

かえって、自己否定感を募らせてしまうことになるのではないか?

そう感じるのです。

 

自己肯定感という言葉の提唱者とされる高垣忠一郎氏は、

ご自身の著書の中で、

「自己肯定感の言葉の意味に気をつけてほしいということ」として、

以下のようにおっしゃられています。

『人間の自己肯定感は、存在丸ごとの自己肯定感ー自分が「あるがままの自分であって大丈夫」という感覚ーでなければならない。

そうではなく、人間の、ある部分的な能力や特性の評価に基づいて自分を肯定する自己肯定感は、いわば、「人材=誰かの道具」としての「自己肯定感」に変質してしまう。』

(『』内高垣忠一郎著「悩む心に寄り添う 自己否定感と自己肯定感」新日本出版社より)

 

本来の「自己肯定感」という言葉の意味も、同時に伝えていかなければならない。

もしくは、解釈がズレないような新たな言葉、別の言葉に変えて必要があるのではないか?

 

最近の心のモヤモヤです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

言い訳

ブログを書く時、

ポジティブなテーマ、ネガティブなテーマをバランスよく投稿しようと、

意識するようにしているので、

ここのところ、体調不良もあったせいか、

”ネガティブなことを題材とした投稿が多かったような気がする。”

と少し心配になり、ふとここ最近の自分のブログを読み返してみることにしました。

やはり、少しネガティブな方に偏っていたように想います。

ただ、今のネガティブな状態を、せめて、

それ以上ネガティブな状態に陥らないようにしようと、

在り方、考え方、視点を変えようという、

意志は感じられる投稿だと自分では感じたのですが、

読者の皆様がどのように感じてくださっているか?

その答えを知ることはできません。

 

ただ、

これまで学んできたこと、

過去、失敗して(成功して)気付いたことを活用しよう、

ダメな自分、恥ずかしい自分もさらけ出して、

それが、少しでも読者の方に役立つ気付きとなってほしい、

その想いはいつも変わりませんし、

これからもその気持ちで続けていきたいと想います。

 

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(そういいながらも、今日も、ネガティブな感じの文章になってしまいましたね。)

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

MindLabo代表 山本智香子

不安に対する応急処置

体調がすぐれないと、心にも影響がありますね(^_^;)

 

心と身体は繋がっている

 

重々承知はしておりますが、

実際、その状況になると、

体調不良が、いろんな不安を引っ張り込んで、

心の不調を引き起こすのを、

食い止めることができません。

 

こういう時は、あまり頻繁には使いたくないのですが、

自分より悪い状況の人との比較で対処します。

例えば、戦争がある国の人に比べれば・・・などです。

比較対象にしてしまった人には大変申し訳ないのですが、

”自分の今の状況なんて全然まし”と想うだけで、

少し心が休まるのです。

 

これは、あくまでも応急処置。一時的な対処方です。

本来は、根本的な不安材料を、1つ1つ対処していかなければなりません。

人との比較は、あまり好きな行為ではないのですが、

どんどん膨れ上がる不安感を、これ以上膨れ上がらせないために、

”一時しのぎ”として使わせてもらいました。

 

こういう時もあるよね~。

そう自分に納得させ、ひとまずはよしとしておきます。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

葛藤に使ったエネルギーと時間

昨晩からの体調不良で良く眠ることができず、

現在も体調不良が続いております(^_^;)

13時から仕事が入っていたため、

午前中、いろいろとやりたいことはありましたが、

自分の中で調整可能なことでしたので、

それをやることをあきらめ、

午後の仕事に備え、ぎりぎりまで横になっていることにしました。

体調にも波があり、

横になっていないと辛い時もあれば、

これくらいなら、ちょっと無理すれば働けるかも?

と想う時もあり、とにかく午前中は様子見でした。

 

体の声は「このまま横になっていたい」とはっきりしていました。

始めたばかりの仕事で見習い中のため、

自身が休んだとしてもメインで働いている方は通常通りいらっしゃり、

労働力不足に対する影響度は少ないとはいえ、

多少なりとも迷惑は掛かるわけですし、

仕事を始めたばかりで、急に休むことは、

信頼を失うのではないか?

良く想われないのではないか?

という不安がよぎり、

仕事を休もうか、無理して行こうか、

ぎりぎりまで決めかね、

「休む!」と決めても、しばらくの間、

休暇依頼の連絡をためらっている自分がおりました。

 

しかし、

自己尊重(自己肯定感を構成する要素の一つ)大事だよね!

と訴えている自身が、

周囲にどう想われるかを気にするあまりに、

休ませてもらえるかどうか?確認することなしに、

自分の身体にムチを打って仕事をしようとするのは、

それこそ信用を失うわ~と自分に言い聞かせ、

勇気を持って連絡をしてみました。

 

「お大事に!」と優しい一言が返ってきました。

 

それで不安は解消し、ゆっくり寝るのかと思いきや、

今度は、

あれもやりたかったたのにできていない、

これもやりたかったのにできていないと、

できていないことばかりに意識が行き、

できなかったことへの、

焦りや不安が募ってくるのです。

そこで、横になりながらでもできることはないか?

と、悪あがきをし、

メールぐらいなら送れるかも?

とやり始めてはみたものの、

思考が回らず文章を考えることがしんどくて断念。

本を読むくらいならできるかも?

と、読み始めてはみたものの、これも思考が回らず、

頭にインプットされず断念。

 

ここまでしてようやく、観念して寝ることができました。

短時間ですが、ぐっすり眠れたことで、

身体がだいぶ楽になり、回復傾向にある実感が持てました。

 

観念して、横になる!と決めるまでの心の葛藤に使った、

エネルギーと時間がもったいなかったです(笑)

悪あがきもほどほどに。。。

 

できない自分をすぐに認めてあげればいいだけのことでした。

後になってその時の自分を客観視したことによって、

気付くことができました(^_^;)

今度こういうことがあったらこの経験を活かし、

さっさとできない自分を認めようと想います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

 

 

 

 

 

 

永遠のテーマ?

”不安と恐れ”

そこからくる様々な負の感情。

その負の感情を感じないようにするためには、

不安を抱いてはいけない!その不安を払拭せねば!!と、

不安を払拭することに執着していたことに、

毎日視聴している、メンターの動画講座がヒントとなって、

気が付くことができました。

メンターの動画講座は、多くの人が視聴されていて、

別に私のために配信いるわけではないのに、

なぜか、毎回毎回、今の私に必要な学びや気付きを、

タイミング良く与えてくださるものですから、

私のためだけに配信してくださっているのではないか?

と勘違いするくらいです(笑)

それは冗談として、たった1日10分、15分の視聴であっても、

新しい学びが得られたり、

自分の思考だけでは生まれてこない気付きが得られたりすることは、

本当にありがたく価値のあることだな~と感じます。

※メンターが「不安を払拭することに執着してはいけない」などと、
動画の中でおっしゃっていたわけではありません。
(メンターの動画講座の内容と上記私の意見は関係はありません。)
動画の中でメンターが挙げていた事例がたまたまヒントとなって、
間接的に自分の中に気付きが生まれたというだけです。

 

さて、本題に戻りますが、

ここの所、自分の不安感を否定しておりました。

不安を感じたくないから、

その不安をどうしたら消せるか?

ということにばかり意識が向いていました。

そもそも不安は無くならないものだという前提を忘れて・・・。

不安は、危険を回避するために備わった人間の本能でもあります。

それを消そうとすることに意識が向いていたなんて、そもそも論でした。

またやっちゃいました(^_^;)

 

過去を振り返ると、不安や恐れを強く感じると、

それを一刻も早く何とかしたい!無くしたい!

と焦って、焦ったことによって失敗して、気付いて、

(または失敗する前に気付くことも最近はある)

我に返って、平常心を取り戻す(または取り戻す努力をする)

の繰り返しを何年もしているな~と・・・

(マインドについて学ぶ前は、気付きもしないで、

不安の渦に飲み込まれてしまっていたのでそこは進歩してますかね(^_^;))

 

そもそも消すことのできない、不安や恐れとどうお付き合いしていくか?

私にとって(人間にとっても?)永遠のテーマなのでしょうか?

 

MindLabo代表 山本智香子

意図的に承認欲求を満たす

先日、承認欲求が発動している自分に気が付いた私。
(先日1/8のブログに記載)
無自覚に承認欲求を満たそうとして、
聞かれてもいないことを自ら話し、
「それいいアイデアじゃん!」とか、
「挑戦してみる価値あるよね!」とか、
何らかの承認の言葉を得ようとするも、
ことごとく、賛同されず、
更に承認欲求を募らせるどころか、
自己否定、自己不信モードに陥りかけていたのです。

しかし、この無自覚の行為に気付けたのはラッキーでした。
その後も、自己承認だけでは、承認欲求は満たされなかったのですが、
この人に話せばきっと、承認の言葉をくれる!
という人に敢えて話をし、想定通り、承認の言葉をくれ、
かなり承認欲求が満たされたのです。

その相手というのは次男です。
次男は、長野の生活も、東京の生活も両方知っています。
そして、大学を出て、就職をして・・・という道は選ばず、
自分の夢を実現するために頑張っています。
次男は、
”これからこういう生活スタイルをしたいと想っている。”
という私の話を、最初から最後まで聴いてくれ、
ただ聞くだけではなく、疑問に思うことは質問してくれ、
私の話をほぼ100%に近いくらい理解したうえで、
「やってみればいいじゃん。
〇〇なデメリットはあるかもしれないけど、
よくよく話を聴いてみれば、そんなに不便でもなさそうだよね。」
と・・・。
やっぱり次男はわかってくれた!
最初から、次男に話を聴いてもらえばよかったです(笑)

しかし、長男に話を聴いてもらおうと想ったのも、
自分には自分自身で満たすことができない承認欲求があり、
その承認欲求が満たされないおかげで、自己否定感まで募らせているということを、
自覚できたからです。
自覚できたのは、自分の恥ずべき行為と向き合い、
その行動の奥にある心のモヤモヤが解明したことが要因です。

自己との対話で己を知る。
その重要性を体感できた出来事でした。

手前味噌ですが、次男は傾聴力があり、
相手の立場に立って物事を考えることに長けていると想います。
そんな彼に、今回は頼ってしまったのですが、
彼も、仕事と音楽活動で忙しいので、ほどほどにせねばと想っております。

ただ、自覚があって敢えて承認欲求を誰かに満たしてもらうという手法は、
相手に配慮しつつ取り入れてもいいのではないかと想います。
自覚していれば、その相手が支援を必要としているときなど、恩返しもできますしね。

MindLabo代表 山本智香子

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