父が他界し、ちょうど1か月目の朝。
久しぶりの、一人朝カフェです。
少しづつ、日常が戻っていきます。
今日は、ふと、普段あまり訪れることのない、
(以前に訪れたのはかれこれ、5~6年前。)
松本市の市街地からはちょっと離れたカフェを訪れてみました。
カフェを訪れる際は、PCと本を持参するのが私の中の決まり事。
しかし、そちらのお店にはフリーWifiがなかったため、
今日はPCは無しってことだな。思いっきり本を読もう!!!と決め、
香り高い珈琲と、もっちりトーストをいただきながら、
ランチタイムでお店がお忙しくなる前までの時間、
ゆっくり読書をさせていただきました。
今日持参した本は、
船戸崇史著 発行:YUSABUL
「死」が教えてくれた幸せの本質
二千人を看取った医師から不安や後悔を抱えているひとへのメッセージ
です。
以前は、Lightで読みやすい本を選ぶこともあったのですが、
読書量が増えた今、本を選ぶ基準も変わり、抽象的ではありますが、
読み応えがあるもの、深みを感じる本、本質を突いた本を好んで選ぶようになりました。
そんな中、「本質」をキーワードに検索し、目に留まったのが上記の本。
父との突然のお別れから間もないということもあり、タイトルに惹かれたのかもしれません。
読み進める中で、この1行が心に刺さりました。
容体が急変し昏睡状態に陥った患者さんのご家族に対する、著者(医師)の言葉です。
(「」内、船戸崇史著 「死」が教えてくれた幸せの本質 発行:YUSABUL より)
「耳は最後まで聞こえるといいます。生きているうちに耳元でお話ししてあげてください。」
私は、カフェにも関わらず大粒の涙が目からこぼれ落ちる自分に、その雫の大きさで気付きました。
父が亡くなったときのことを想い出していたのです。
そして、その時から感じていた疑心と悔いが、確信と安堵感へと変わって行く感覚にもなりました。
父が危篤だという知らせを兄からTELで受けたとき、
私は偶然にも、父が居た病院のすぐ近くにおりました。
急いで病院へ向かうと、意識のない父がベッドで心臓マッサージを受けていました。
私は、一瞬で最期の時だと感じました。
意識は無いとわかってはいたものの、せめて父にお礼の言葉が言いたくて、
「お父さんありがとう」と何度も叫びました。
まもなく、父は息を引き取りました。
私が父と最後に会ったのは、亡くなる3週間前、
最期に言葉を交わしたのは2日前でした。
私はずっとそれに悔いがありました。
突然とは言え、もっと会ったり、TELしたりしておけばよかったと・・・。
だから、意識が無くても、「ありがとう」の最期の言葉は、
きっと父に届いていたはずだ!と思い込もう、信じようとしていました。
それが確信へと変わり、悔いが涙と一緒に流れていく感じがしたのです。
こうやって、少しづつ、少しづつ、
気持ちの整理がついていくものなのかもしれません。
読書には本当に助けられることが多いです。
ありがとうございます。
カフェタイムが取れたことにも感謝です。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子