世の中はポジティブが良い!という考え方が広まっていて、
なんとなく、
負の感情は悪者、
ネガティブは恥ずかしい、
と思っておられる方が最近多いと感じます。
少なくとも過去の私はそうでした。
しかし、負の感情には、
危険を予測したり回避するという重要な役割がありますし、
自己成長のきっかけになるというメリットもあると考えます。
以前、私はこんなことがありました。
大勢いる中で、1番に意見を求められることに、
抵抗感、恐怖感、拒絶感を感じる自分がいるなということに気付き、
その原因を考えたときに、ふと、
20年も封印していた過去の傷ついた体験を想い出しました。
9教科以外の道徳?的な事業の中で、
先生から「高校へ行く目的」を質問されました。
なぜか40人もいるクラスメイトの中から1番に意見を求められ、
私はとっさに、「学歴を得るため」と答えました。
「その考え方は間違っている。そんな考え方はだめだ。」
と、先生からクラスメイト全員の前で全否定され、
ショックと恥ずかしさで、目の前が真っ白になり気を失いそうになるくらいでした。
私の後から意見を言うクラスメイトは、
先生が求めるような答えを言い「学歴を得るため」と答えたのは私ひとりでした。
今から思えば、もし「学歴を得るため」と想っていた人が他にいたとしても、
先生から否定されたくないから、別の意見を言った人も中にはいたかもしれません。
でも当時の私は、幼かったこともあり、そんな考えに及ばず、
自分は変わった考えをする人間なんだ。
こういう考え方の人は受け容れられないんだと思い込むようになり、
人の意見に合わせることが当たり前になっていきました。
だから、1番に意見を求められると抵抗感、恐怖感、拒絶感が渦巻くのです。
このことを、現在のメンターに話しました。(当時は就活セミナーの講師でした。)
それは、その出来事がかなり影響しているとおっしゃいました。
そして、こんなアドバイスをくださいました。
先生の行為は許さなくていい。ただ、先生の存在は許した方が良い。と・・・。
「行為は許さず、存在は許す?」
最初は???でした。
でも、頭の片隅にそれを意識して、こういうことかな、あーゆうことかな?
と、別なケースにあてはめたりしながら、考えているうちに、
徐々に徐々に腑に落ちて行きました。
別な言葉をかりるなら、「罪を憎んで人を憎まず」にかなり近いと想います。
「行為は許さず、存在は許す。」
この理解を深めただけでも、私の人生は大きく好転しました。
自己受容、他者受容の神髄とも言えるかもしれません。
過去の傷に無理矢理触れることはしなくていいと想います。
ただ、向き合えるかもしれないと思ったときは負の感情を解決の糸口にしてみてもいいかもしれません。
あなたは負の感情をどう捉えていますか?
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子