うれしい・悲しい・うれしい
今日は、感情が揺さぶられる出来事が多い日でした。
人生の新たなるステージへ進む道が開ける連絡が届き、
喜びと期待に胸を膨らませておりましたところ、
2カ月くらい前から計画していて、
本当に本当に楽しみにしていた両親との小旅行を、
キャンセルせざるを得なくなることとなり、
悔しさと悲しさで両親の顔がまともに見られなくなるほど落ち込み、
夕飯も食べずに帰宅し、
まるで、小学生のように一人で泣きじゃくっておりました。
しかし、激しく泣いている自分の傍らに、
どこか冷静に自分を客観視している自分も居て、
「昔の自分だったら、物分かりのいい大人を演じて、
感情を押し殺してたよな~。
よくこんなに感情を出せるようになったよな~。
泣きたいんなら、思いっきり泣けばいいじゃん。
1人なんだから気にしないで思いっきり泣けばいいじゃん」と、
自分に語りかけているのです。
1人で泣いていたら、今度は無性に寂しくなってきて、
「誰かにこの悲しみを分かってもらいたい、
ただただそばに居てもらうだけでもいい、
話を聴いてくれるだけでもいい。」
そんな想いになっている自分にも気が付きました。
普段、1人で居ること、1人で行動することに対して、
皆無と言っていいほど、「寂しい」と感じたことがない私ですので、
「これはかなり心のダメージが来ているな」と、
自分を冷静に分析する自分も居て、
息子にSOSを出したのでした。
昔の自分なら例え家族であっても、SOSなんて出さなかったでしょう。
そもそも、誰かに助けを求めることは迷惑になるからダメなこと。
という思い込みがあったので、SOSを出すなんていう概念もなかったと想います。
しばらくしたら、ラインの折り返しをくれた長男。
話を丁寧に聴いてくれ、私の気持ちや、どうにもならない状況を理解してくれました。
それだけでも気持ちがすっきりしたのに、
「今度、母親とじいちゃんと俺で旅行に行こうよ。前この3人で旅行に行ったことあったよね。
あの旅行、楽しかったじゃん。あの時は高校生で車の運転できなかったけど、
今度は俺の運転で連れて行ってあげるよ。そしたら、じいちゃんも、母親も楽できるじゃん。」
と・・・。
息子の励まし、優しさがうれしくてうれしくて、
さっきまでの悲しみが嘘のように吹っ飛んでいきました。
その感情を味わうか?手放すか?
その感情をどう扱うか?どう対処するか?
自分の感情を客観視する「間(ま)」が、
それを考えるゆとりを生み出すのかもしれません。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子