気にしすぎる性格に良い悪いはない
皆さんは、
HSP(Highiy Sensitive Person)をご存知ですか?
その意味を簡単に言うと、
「人一倍繊細な気質をもって生まれた人」で、
「こうした気質を持つ人は職場や家庭など生活の中で気疲れしやすく、
生きづらいと感じているタイプの方が多い。」
(「」内、品川メンタルクリニックホームページより引用)
と言われています。
私が、このHSPについて知ったのは、
5年くらい前、友人の紹介で読んだ、
武田友紀著 飛鳥新社出版
「繊細さんの本」がきっかけでした。
そして、私にもHSPの要素がかなりあるなという、
自覚を持つきっかけにもなりました。
HSPの自覚を持てたことや、
HSPが生きづらさの原因の一つであることを知ることができただけでも、
かなり生きやすくなったのですが、
今でも、
「細かいね」とか「敏感だね」とか
「細かいとこまで気にしすぎじゃない?」
と何気なく発せられた相手の言葉に、
すごく嫌な感じを抱く自分がいます。
今日も、
私の繊細さを指摘するような発言を受けて、
嫌な気持ちになりました。
別に、それが悪いと否定されたりしたわけでもないのにです。
このモヤモヤとした感情は何だろう?ということを深堀したくなり、
時間もあったので、思うがままのことを紙に書いてみました。
そんなことをしているうちに、ふと、ある記憶を想い出しました。
中学生の時(かれこれ35年以上前)の記憶です。
ある先生に、提出物の提出期限を過ぎてしまった理由を話しに行ったら、
何を言われたかその内容を詳細まで覚えていないのですが、
「そんなこと(先生にとってはどうでもいいこと)を気にしてたら~~~」と
と、私が気にしすぎであることを指摘し、それに対して否定的なことを言われ、
とっても恥ずかしくなり、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえて、
席に戻ろうとしている自分の姿を想い出したのです。
恐らく、小さいころから、母親や友達から、
「そんなに細かいこと気にすることないのに」
というようなことはよく言われていたような記憶はあります。
ただ、それを言われても、たいして気にも留めていなかったようにも想います。
もしかしたら、あの中学の時の出来事が、
「細かいことを気にすることは悪いこと」
という思い込みを決定づけたのかもしれない。
という仮説が自分の中で生まれました。
だから、別に、否定されたわけでもないのに、
自分の繊細な所を指摘されると、
反射的に嫌な気持ちになってしまうのではないのかと・・・。
あくまでも仮設であって、
その仮説があっているか?
全部でなくても一部は合っているのか?
正直、分かりません。
でも、中学の時の先生には悪いのですが、
全て先生のその言動のせいにしてしまえば、
「気にしすぎる性格に良い悪いはない」
という頭では理解していても、
実際には受容できていなことを、受容できる。
そんな気になってきました。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子