知識は理解への素材
子供のころ、親や学校の先生、
周囲の大人(叔父叔母、近隣の大人、友達の親など)から、
「それは、そう言うもんじゃないよ!」
「こうしたほうがいいよ!」
と、日々の生活習慣から始まって、
人として大事なことをよく注意されました。
特に、両親は、
出来るようになるまで、
何度も何度も注意してくれたり、
人として本当にダメなことは、
めちゃくちゃ叱ってもくれました。
大人になってからも、
大事な所では助言をしてくれることもありました。
今もあります。
正直、注意されたり、叱られたり、助言を受けたりしたことを、
その時はすぐに理解できないことも多々ありました。
(思春期の頃は反発もしていました(;^_^A)
でも、少し時間を置いたり、時には何年も何年も経ってから、
あの時、〇〇が教えてくれたことはこういうことだったのか!と
腑に落ちること、理解が深まることが幾度となくありました。
そういう経験、皆さんにもありませんか?
だから私は、今すぐにわからないかもしれないけど、
人として大切なこと、身に着けておいてほしいことを、
子供達にも伝えてきました。
今も伝えています。
これは、何も子育てに限ったことではありません。
職場でも、上司部下、先輩後輩関係にもあると想います。
他にも、例えば、
若いころ何気に聞いていた曲を、何年もたって聞いてみると、
この曲の歌詞って、「こんな大事なことを言っていたのか!」と
作詞者の言わんとしていたことがより理解できたり、
例えば、
1度読んだ本を、数年たって読み返してみてもそうです。
だから、自分が興味があることや、
これは学んでおいた方が良いなと思うものは、
学んでみることも大切だと想います。
例え、その時はすぐに理解できなかったとしても、
知識が理解への素材となるからです。
そして、誰かの理解への素材となるように、
理解したことを伝えていくことも大切だと想います。
自分がそうしてもらったように・・・
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子