甘え方上手も自律の要素
今、負傷した足の治療中なのですが、
おかげさまで、ギブスが取れ、
物理的にも精神的にも、開放感に満たされております。
ただ、そうは言っても、
すぐに元通りに歩けるというものではありません。
外出するには、まだまだ松葉杖が必要で、
ちょっとそこまで外出するだけでも、
想像以上に、体力を消耗します。
従って、エネルギーが枯渇気味で、
元気な時は対応できていたことが、
対応できないことが今は多い状態です。
これまでの私であれば(卒婚してからは特に)
「一人でなんでもしなきゃいけない。できなきゃいけない。」
と想う傾向が強く、
一人でできることは、一人で完結するようにしていました。
例えば、本当は、スーパーに買い物に行くにも、
誰かに付き添ってもらって行きたかったです。
でも、私は「一人なんだから!頼る人がいないんだから!」
と自分に言い聞かせ、勇気を振り絞って一人で買い物に行き、
見ず知らずの方に声をかけて、
車いすに乗るのを手伝ってもらったり、
手の届かない商品をかごに入れてもらったりしながら、
足が不自由な生活を送っていました。
それはそれで、
見ず知らずの方に頼るということもこれまで以上に出来るようになりましたし、
その方たちのやさしさ温かさに触れるという貴重な体験ができ、
嬉しさと感謝の気持ちを味合わせて頂きました。
私も、元気になり、反対の立場に遭遇したら、
手助けしたいという意識が芽生えたこともよかったです。
しかし、「頼れる人がいない。」というのは、私の思い込みで、
「頼ってくれればいいのに」と想ってくれていた人がいらっしゃったり、
「疲れが酷いから、送迎してほしい。」と頼んだら、
快く引き受けて下さる方がいらっしゃるという経験もさせていただきました。
私は、自分の強がりのために、
「頼れる人がいない。」と思い込もうとしていたのかもしれません。
その方たちにも、その方たちの生活があるので、
それを侵害するほど頼りたくないという気持ちもありますが、
よくよく考えてみると、
私に何かを依頼されて、それを引き受けるキャパが有るか無いかは、
相手の方が判断することであります。
要するに私は、
「断られたらどうしよう。」
「断られないにしても、相手に迷惑なやつだと想われたらどうしよう。」
という、気持ちもあったのだなということに、
この文章を書きながら気付きました(^_^;)
断る、断らないは、相手の問題ですね!
自分で出来ることを無理に頼る必要はありませんが、
しんどい時は、しんどいと、SOSを出せる人(医師や公共機関も含まれる)を、
何人か持っておくのも、生きていくには必要で(特に一人暮らしの人)、
それも自律ということの1つの要素なのではないのかなと
感じたのでありました。
頼んだことを必ずやって!と強要したり、
自分は頼むのに、相手の頼みは聞かない!は、
無しというのがもちろん前提です。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子