承認欲求発動中
皆さんは、自分が今、
承認欲求による振る舞いをしてることに、
気付くことができますか?
私は、できないことが多いです。
でも、気付く努力はしたいと考えています。
なぜなら、承認欲求が強く出過ぎると、
承認欲求を出してしまった相手に不快感を与えたり、
場合によっては傷つけてしまったりするからです。
それが、無意識だから恐ろしいです。
私自身も信用を失います。
相手だけでなく、自分も傷つける行為は、
自己肯定感を下げる行為でもあるので避けたいです。
(承認欲求は多かれ少なかれ誰でもあるもの、
人間としての当たり前の欲求なので、
全否定しているわけではありません。
あくまでも、それが強すぎることで、
悪影響も強くなることを懸念しての考えです。)
今日は、自分の承認欲求が発動していることに気が付きました。
なぜ気付いたか?
聞かれてもいないことを、べらべらとしゃべっている自分に対し、
違和感を感じたからです。
会話を終えた後で、
「何、調子に乗っていろいろしゃべってんだ?」と、
自分自身を責める気持ちと、恥ずかしい気持ちと、
その奥にある、何かよくわからないもやもやした気持ちがありました。
この気持ちはいったいなんだろう?
この問いを心の片隅に抱いていたら、ある時ふとその答えが出ました。
それは、長野に帰って来てから、
誰からの賛成も受けていないことを、
誰か1人でもいいから、賛成してもらいという欲求でした。
その賛成してもらいたいということは、
長野で再スタートを切るにあたっての
自分が考えている生活スタイル全般です。
「自分が幸せならそれでいい。
だれに何と言われようと、とりあえずやってみたい。
もしだめなら、まだ、引き返せるところで引き返しっていいんだし、
別な道が開けるかもしれない。やってみないとわからなじゃん!」
そう想っているのは事実です。
でも、自分の健康状態が悪かったり、
心が弱気になっているときには、その想いが揺らぐのです。
そういう時に、誰かに、「大丈夫」って言ってもらいたくて、
余計なことを、べらべらとしゃべってしまうのです。
それを自覚して話しているならまだしも、自覚していないから、
相手が不快に感じているか?どうか?を察知することなしに、
しゃべり続けてしまうのです。
自覚があれば、ちょっと話してみて、
不快そう、つまんなそう、って感じたら、話すのやめよう!
という選択もできると思うのです。
余計なことをべらべらとしゃべる時、
しゃべりたいと感じているときは、
私にとっては要注意サインだということを悟りました。
そういう時は、相手に何を認めてもらいたいのか?を
自問する必要があると想います。
そして、その欲求がなぜ出ているのか?
その原因も突き留めなければなりません。
私の場合大抵、将来に対する経済的な不安なことが多いです。
社会心理学者、加藤諦三先生の心配ごと解消方法は、
「学ぶこと」だとおっしゃっていました。
先人の知恵を使わせていただかないなんてもったいないですし、
何より、学ぶことが楽しいと感じるので、
不安のエネルギーを楽しさに変えるために学びます!
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子