受容できなかった後悔を今後に活かすには?
母は、1人になると時々、亡くなった父の写真の前で、
「なんで、先に行っちゃたんだよ~!ちくしょ~」と、
父に怒りをぶつけることがある。
と漏らしていたことがありました。
母の口から「ちくしょ~」なんて言葉が出てくるとは、
想っていなかったこともあり、
(母の名誉のために言っておきますが、
母はそういう言葉を普段口にする人ではありません。)
そんな母に対して私は、
「運命だから、仕方ないよ。」
と伝えていたことを、今となって後悔しています。
なぜなら、母だって、
亡くなった父を責めたくて責めているわけではないからです。
責めたって仕方が無いってわかってても、
母が普段使わないような、
きれいとは言えない言葉を使ってまで、
そうしてしまうのです。
私は、そんな母を観たくないという想いと、
自分の父を責められるのが悲しくて、
母の言動に受容的な態度を示さず、
「運命だから、仕方ないよ。」
という言葉でその会話を終わらせてしまっていました。
でも、その時の母に必要だったのは、
受容してあげることだったんだな~と
今振り返り想います。
「ちくしょ~って言いたくなるくらい。
寂しいんだね。辛いんだね。
そりゃちくしょ~って言いたくなるよね。」
そういってあげればよかったのかな~と想うのです。
この後悔を今後に活かすとしたら、
なぜ、この時、瞬時のこの判断が出来なかったか?
ということを考えることに観点を置いてみたいと想います。
2つ思い当りました。
1つ目は、、
その時、自分のこと(自分の感情を守ること)しか考えていなかった。
2つ目は、
母にも父にもどっちにも良い顔をしたいという、
八方美人的スタンスのためだった。
以上の2つです。
1つ目の対策として、
自分ではなく、母に意識を向ける質問、
なぜ母はこの話を私にしてくるんだろう?
満たされない想いは何なんだろう?
こういった自問が必要だと想いました。
2つ目の対策として、
亡くなった父には申し訳ない気もするのですが、
せめて母の前だけでも、
思いっきり母の味方になってあげよう!
という意識を日頃から持つことが必要だと考えました。
亡くなった父も、
「それでいいよ」ってきっと言ってくれていると想います。
この文章を書き終えようとしている今、
「むしろ、お母さんのためにそうしてあげて」
って言ってくれている気もしてきました。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子