違いは価値
「違いは価値」
この言葉は、2015年~何度も何度も
聴いたり(受講者として)、言ったり(インストラクターとして)、
してきた言葉です。
それまでの私は、
皆と一緒の意見の方が良い。
皆からはみ出すような意見を言ってはいけない。
多数派に合わせておいた方が無難。
そういった非合理的ビリーフ(固定観念)を持っていたため、
「違いは価値」
という言葉は、新鮮で、
自分が他の人と違う考えを持っていること、
それを表現することに、
非常に恐れを持っていた私にとっては、
ホッとして、救われるような言葉でした。
講座を受講したり、登壇したりする都度、
講座の冒頭で、
「違いは価値」だから、
お互いの発言を尊重しあいましょうね。
ということを確認しておりました。
これを繰り返し、
実際に講座内でのディスカッションでそれを経験してくうちに、
徐々に徐々に長年抱き続けてきた非合理的ビリーフ
「皆と同じが良い」を
手放せて行けたように想います。
しかし、久しぶりに、自分と同じ考えでない人を
「わからせたい!!」という
執着があった自分に気が付きました。
わからせたい人。それは母です。
「違いは価値」
頭では解っているのに、
身内だと、身内だからこそわかってもらいたいと
想ってしまうのでしょうか?
しかし、長男の一言でその執着をスーッと手放せました。
実家でのある出来事の話を長男に聴いてもらった時のことです。
「ばあちゃんはそういう考えの人じゃん。」
長男は、批判するでもなく、
その考え方に良い悪いというジャッジするでもなく、
「当たり前のことをなに今更言ってるの?」
とう感じで私にこの言葉を投げかけました。
私は、
「確かに。そうだわ~。
そういう考えの人なのに、なんか力入ってたな~。」
と我に返ることができました。
そして、冷静になって考えてみると、
戦時中に生れ、
戦後間もない昭和を生きてきた中で培ってきた考え方、
そういう考え方だったからこそ、
昭和時代を真っ当に生き抜いてこれたのかもしれません。
そこに良い悪いは無く、単に違いなのです。
「違いは価値」
改めて、佳い言葉です。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子