罪悪感からの選択はやめようね。のサイン。
最初にお伝えしておきますが、
道徳的判断をするうえで、罪悪感は大切な感情です。
だから、罪悪感が悪者ということでは無く、
むしろ重要な感情なのだけれども、
その使い方を間違えないようにしましょうね~というのが、
今日のブログのお話です。
収入がない、または極端に少ないと、
日常生活を脅かすことなどに繋がるので、
不安感が増すのは人間の本能です。
そしてその不安が増せば増すほど、
早く仕事を決めないといけない!という焦りも募らせます。
昨年12月、東京から信州に戻ってきて、
1月から働き始めていた矢先、父が急逝。
80歳を過ぎた母を急に1人にするのは、
精神的にかなりの負担になることが予想されたこと、
実際に母からもしばらく一緒に暮らして、
父が亡くなった後の手続きなどを手伝ってほしいと言われたため、
事情をお話して退職することとしました。
それにより、失業給付を受ける手続きをしたため、
しばらくは安定した収入があり、
焦って仕事を決めなくてもよい状況になりました。
しかし、これは私の特性なのかもしれませんが、
心身ともに元気で働ける状態なのに、
仕事をしていないことに罪悪感を感じてしまいます。
今から思えば、
この罪悪感から逃げたかったのでしょう。
焦って仕事を決めなくてもいいと頭ではわかっているものの、
どうしてもこの仕事がやりたい!やってみたい!というよりは、
納得いく理由を無理矢理自分に言い聞かせて、
仕事探しをしていました。
そんな中、ある企業様との面接を2日後に控えた日に骨折してしまい、
そのお話は流れてしまいました。
これは、「強制終了」だなと直感で思いました。
そして、強制終了の答えの一つがまた新たに見つかりました。
それが、今日のテーマ「罪悪感からの選択はやめようね。」です。
今、私は、「仕事をしていないことに罪悪感」を感じていません。
なぜなら、足の骨折治療中だからです。
働く事が出来ない公然とした、自分への言い訳があるからです。
ただ、そうは言っても、仕事探しは出来るし、働く意思もあるので、
なんとなく気分がよく気が向いたときに、
PCでデスクワーク限定の仕事探しをしていました。
そして、ふと、目に留まった求人から、その法人様のホームページを開くと、
自分の価値観と共通点が沢山あったり、
自分が今までやりがいを感じた仕事に近かったりと、
この仕事がやりたい!やってみたい!というものが見つかったのです。
応募するにあたっての提出書類も、熟考に熟考を重ねました。
これまでとは明らかに、応募への熱量が違います。
他にも、罪悪感で選んで、よろしくない結果になることはないかな?
と考えてみました。
例えば、
断ることに罪悪感を感じ、
行きたくない誘いに応じて、疲弊したり。
疲弊までしなくても、心の底から楽しめなかったり。
例えば、
自分に高価なものを買うことに罪悪感を感じ、
「これ欲しい!」と思った物の値札を見て高価だと思い、
妥協して安いのを買って、結局あまり使わず処分することになったり。
そんな経験って、皆さんにはありませんか?
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子