「余白」の捉え方が反転する
今、山崎晴太郎著 日経BP発行
余白思考
アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術
という本を読んでいます。
この本を読んで、
「余白」に対する捉え方が180度変わり、
自分の中にあった非合理的ビリーフ(思い込み)と、
その非合理的ビリーフがあることによって抱く、
ネガティブな感情に気付くことができました。
まず、余白の捉え方です。
著者は、余白の「余」は、
余分の余ではなく、余裕の余という捉え方をしていらっしゃいます。
具体的には、
『「余白」は、「何かを書いたあとに残ってしまったスペース」ではなく、
「書かれている何かを引き立たせるために、あえて余らせているスペース」
「あらゆるものが入る可能性にあふれた空間」
「本当に大事なものを守るために、あえて余らせている時間や力」。』
とおっしゃられています。
(『』内 山崎晴太郎著 日経BP発行 余白思考より抜粋)
なるほど~。と想いました。
今まで私は、「余白」は残った部分、余った部分という捉え方でした。
そして、残すなんてもったいないとか、
余った部分は有効に使わなきゃいけない、埋めなきゃいけない。
というような思考が自分の中で繰り広げられ、
残ったり、余ったりすると、不安や焦燥感を抱くこともありました。
そうなるのはどうしてか?というと、
その答えも本に書いてありました。
(『』内 山崎晴太郎著 日経BP発行 余白思考より抜粋)
『人は本能的に、空いているスペースがあると埋めようとします。
意味のある余白にするよりも、空虚が怖くて、どうにかして埋めたがる。
余白の在り方に思いをはせる前に、とにかく詰め込んで満足してしまう。』
とのことです。
とにかく詰め込んで満足することも問題視した方がよいですが、
私の場合、空虚が怖くて、埋めよう!としたとき、
埋めよう!としたのに、自分の思い通りに埋められなかったりすると、
満足するどころか、
うまく埋められなかったことに対して、
さらに負の感情が沸き上がるという、
ネガティブ感情のループにはまることも多々ありました。
しかし、余白の余は余裕を意味すると捉え、
「本当に大事なものを守るために、あえて余らせている時間や力」
と考えると、余白をつくることに視点が移ります。
さらに、その余白の質を高めることで、
引き立たせたいもの、大事にしたいものを、
より尊重できるのでは?ということが推測できます。
実際に著書の中でも、
『いいアーティスト、デザイナー、経営者は、基本的に、余白のつくり方がうまく、
余白のつくり方が上手い人は、人生を楽しむのもうまい。』
と書かれていました。
ふと、マイメンターのことが思い浮びました。
メンターは、経営者であり、お仕事がお忙しくても、
その間に、
■観光に行かれたり
■菜園をやられたり、
■お料理教室に行かれたり
■散歩に行かれたり、
など、していらっしゃいます。
(上記■はメンターのSNSに投稿されていた内容です)
著者山崎氏は『余白は意図せずにできるものではありません。』とその著書に書かれていますが、
マイメンターはまさに、
意図的に余白をつくられていたこと、
そしてその余白のつくり方を、
SNS視聴者に見せてくれていたんだな~
ということに改めて気付かされました。
ご自分も相手も大事にするスタンスであるから、
メンターはうまくいっているのだな~と改めてリスペクトするのでありました。
どうしたら質の高い余白がつくれるのか?
以前メンターからアドバイスいただいたことや、
(余白という言葉ではありませんが、緩急の付け方や、
自分で自分を満たす方法という観点からいただいているアドバイスのこと)
上記の本をもう少し読みこんで、改めて考えてみたいと想います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子