条件付き自己肯定の危険性
私の捉え方や記憶に偏りがあるのかもしれませんが、
幼少期~学生時代、
親や先生からそう沢山褒められた記憶はないな~と感じております。
しかし、そんな中でも、
頑張ったことや、
努力していることを誉められたことは覚えています。
純粋にうれしかったです。
しかし、私が褒められると言ったら、
真面目に努力している時ぐらいだったので、
いつしか私の中に、
「私という人間は、真面目に努力していないと周囲から認められないんだ。
真面目に努力しなきゃ、頑張らなきゃ。」という想い(考え方・感情・イメージ)が
作られていったように想います。
もちろん、自分自身も自分のことを肯定できるのは、
努力している、頑張っている、という条件が必要となっていきました。
そして、社会人になって強く出てきたのが、承認欲求と自己否定感です。
こんなに努力して、頑張っているのに、
何で認めてもらえないんだろう。わかってもらえないんだろう。
もっと認めて欲しい、わかって欲しい・・・
そう想うから、さらに頑張らなきゃという想いが強くなる。
そして、こんなに頑張っているのに成果を出せない自分に対し、
何故できない!と責め、ダメな人間だとジャッジし、
自己否定感でいっぱいになっていくのです。
仕事とプライベートの乖離も起きました。
仕事ではへとへとになるまで全力で頑張っているのに、
プライベートでは時間とお金を浪費しておりました。
そんな、だらしないプライベートの自分に対しても、
自己否定感が湧きました。
努力や頑張りを誉めてもらうことはとてもうれしいです。
そう言った自分に自己肯定感が生まれるのも事実です。
ただ、それもバランスで、
それが自己を肯定するための条件になると、
私のように様々な弊害が生まれてしまうのではないでしょうか?
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本智香子