利他はハウツーでは語れない
中島岳志著「思いがけず利他」ミシマ社
を読み、
利他的であるか否かは、行為者本人の決めることではなく、
相手にどう受け取られたかによる。
ということを学びました。
ですので、何をしたら利他になるのか?は
相手にどう受け取られたかによって変わるので、
単純に、「この行動は利他だよ。」と、
言えるものではないということにもなるのではないでしょうか?
例えば、ちょっとお高めの人気スウィーツをプレゼントしたとしましょう。
Aさんは甘いものが大好きなのでとっても喜びました。
Bさんは食事制限があり、もらっても食べることができないので困ってしまいました。
Cさんは、人からプレゼントをいただくと、頂いたこと自体はうれしいのですが、
直ぐにお返しの心配をしてしまうタイプなので、やや負担にも感じています。
本当に相手の喜ぶ顔が見たい!と想うのであれば、相手は、
どんなものが好きで、どんなものに興味があって、
どんなことが苦手で、どんなことが嫌いでということを、
日頃からよく観察して覚えておかなければならないと想いました。
そしてそこには、
打算や見返りを期待する気持ち、自己満、などの利己があっても、
相手にうさん臭さ、不快感を与え、利他として相手に受け取ってもらえないでしょう。
利他として相手に受け取ってもらえるには、
その行為をする人がどんな想いで、どんなスタンスでその行為をしたかが重要になってくる。
これは私にとって非常に深い学びで、
この学びを得たうえで、過去の自分を振り返った時に、
自分が良かれと想ってやった行為が、
相手には快く受け取ってもらえたかったことの理由が、
理解できたように想います。
その反省を踏まえて、自分の日頃の在り方を見直してみたいと想います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。
MindLabo代表 山本